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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

東京都 渋谷区の先輩経営者からのメッセージ

株式会社マニアコーポレーション(2009年設立) バーガーマニア恵比寿店

こだわりの素材を 出来るだけ手作りで 気持ちのいいサービスと一緒に。

守口 駿介 氏

ハンバーガー
2014年開業

開業を志したのは、守口氏が20歳大学生の頃だった。焼肉店でのアルバイトからはじめ、当初はカフェを出店したいと考えていたという。その後カフェの軸になるメニューとしてグルメバーガーをとりいれたらと考え、原宿のカフェやハンバーガー専門店で働きながら独立の準備をしたという。アルバイトをかけ持ちしながら、給料のほとんどを開業資金として貯蓄し2008年1号店目となる「バーガーマニア」を白金に開業した。

こだわりのハンバーガーは素材とバランスを重視している。国産肉を使用し肉の部位を合わせて使用しジューシーさを出し、バンズは天然の酒だね酵母を使用し作ったものを業者から取り寄せている。甘さとモッチリとした食感が特徴だ。日本人にも食べやすい日本人向けのハンバーガーを目指し、肉とバンズと野菜のバランスを大切にしているという。またハンバーガーだけでなく、スペシャルティコーヒーという、豆の品質の良い本来のコーヒー豆の旨みを感じられる商品を提供している。本格的なラテアートのコンテストなども自店で開催し技術を磨いているとのことだ。

2008年に1号店目を白金に開業してからは、2011年に広尾店2014年に恵比寿店と順調に直営店舗を伸ばし、3店舗を運営している。「まずは自分たち自身が仕事を楽しむというところを大切にしています。自分たちが楽しみながらお客様に楽しんで頂く、そしてお客様の楽しむ姿を見て、自分たちが喜べると思っています。」そう守口氏は語る。スタッフの成長と共に店としても成長していきたいという。今後も人を喜ばせる空間や場所を作り続けて行きたいとのことだ。

株式会社おとぎや 100%牛ハンバーグ&ステーキ ヒーローズ

人が一番!頑張っているスタッフに報いてあげる事が出来た時が一番のやりがい!

渡辺 浩志 氏

レストラン
1992年開業

もともと父親が家業でサンドイッチ店を経営していた。その場所を27歳の時に引き継いだのが飲食店を経営することになったきっかけだった。当初はサンドイッチ主体のカフェバーとしてはじめ、約3年間営業していたという。現在のステーキ屋の形になったのは、偶然が重なった結果だった。当時下北沢にあった、まだフランチャイズ展開する前のふらんす亭に出会い、その業態に可能性を感じのれん分けをしてもらったのがはじまりだという。

1992年ステーキ屋として開業後は非常に好調に売り上げをのばしたため、当時のフランチャイズ『ふらんす亭』のコンセプトモデルになった。「その当時売り上げも好調だったので、直営店も3店舗に増やし、その他焼肉業態とホルモン焼き業態の店舗を1店舗づつ広げました。」そう渡辺氏は振り返る。

しかしその後は売上が伸ばせない厳しい時期も経験し、本来の自分自身にあった主力業態に立ち返ることを決意。 「当時は店舗を増やす事は出来たが、業態のタイミングを外したり、建物の建て替えで移転を余儀なくされたりと厳しい時期もありました。」「今もそうですが、日々決断に迷う時は、現場にでるとテンションも上がりポジティブに考える事が出来るんです。現場に出ながら、やはり自分自身にあった業態に立ち返ろうと決めました。」

その後これまで踏襲してきたふらんす亭のスタイルから自社で開発した業態コンセプトに転換を図り、『1ポンドステーキと肉汁溢れるハンバーグ』を主力に打ち出した『ヒーローズ』が誕生した。わかりやすく明確なコンセプトが、ターゲット層をしっかりつかみ今では常に行列が出来る繁盛店となった。

「一番嬉しかったのは、長く厳しい時期でもついてきてくれた今のスタッフにはじめて賞与を出してあげる事が出来た時です。」「人が一番!彼らがいてこそ自分も今社長という立場で仕事ができる。感謝の気持ちを持って頑張っているスタッフに報いてあげたい。」そう渡辺氏は語る。今後直営店舗の出店も含め、将来的には、今のスタッフがそれぞれ独立し開業できるように支援していきたいとのことだ。

野菜を食べるカレーcamp

日本の国民食を革新的な調理方法で、健康的で楽しい新しい食文化として進化させる

佐藤 卓 氏

カレー
2007年3月開業

佐藤氏が、飲食業界に転身したのは30代半ばだった。それまでは日産自動車の商品企画や法務などで約十数年働いていたという。 転身するきっかけは、日産自動車の担当としてロサンゼルスに駐在していた時だった。

当時日本のヘルシーでライブ感のある寿司や鉄板焼きなどの日本食文化が定着し始め、若者世代がそれに継ぐ新たな日本のフードカルチャーを探している流れを感じた時に、日本独自の国民食カレーに2つの要素(ヘルシーとライブ感)を加えた業態を持ち込めば流行るのではないかと感じたのだ。仕事の関係で日本に戻ることになった時、この着想は東京でもいけるのではと考え開業を決意したという。

「当時日本でカレーを食べ歩いた時に、日本のカレー店の共通項は、男性向けでありジャンク(がっつり・こってり)でシンプルがコンセプトと感じました。一方であるリサーチの結果では女性の95%はカレーが好きだという結果もあり、逆の発想で女性向けであればこのコンセプトで行けるのではと感じました。」そう佐藤氏は語る。

大手チェーン店で2年飲食店運営を学んだ後、2007年「野菜を食べるカレーcamp」を開業した。「開業した当初2年間は厳しい時期が続きました、ただ当初のコンセプトを崩す事は絶対にしたくありませんでした。わずかながらですが手ごたえも感じていたこともあります。」現在の名物メニュー『1日分の野菜カレー』は、そんな時期に毎日来て頂いていた常連様への特別メニューから誕生したのだという。口コミで評判となり、現在は直営店とFC店舗合わせて13店舗展開している。今後はさらに多店舗展開を進めて行く予定だという。

「飲食店経営の上で一番大事なのは『現場』です。」「厳しい時期もあったがその経験があるからこそ現場の大切さを知りました。今後も現場に立ち続けます。」そう佐藤氏は語る。今後も現場に立ち続けながら新たな食文化の創造に挑戦し続けるとのことだ。

株式会社サムライフードカンパニー かしわビストロ バンバン

ライフスタイル(食文化)の一部となれるような店づくり

高城 直弥 氏

レストラン

高城氏は高校卒業後、調理学校を経てホテルや飲食店での勤務後、世界一周旅行船でのキッチンサービスの仕事につき1年間世界各地を回りながら仕事をしたという。2008年27歳の時に世田谷で、4坪の不動産事務所だった店舗を借りはじめたのが、人気を博した繁盛店「世田谷バル」だった。

「開業前世界各地を回った時に、発展途上国と言われる非常に貧しい国にも立ち寄りました。スラム街に住んでいる若者は、夢を持てない厳しい環境にいる。それを目の当たりにしました。逆に日本で生まれ育った自分は、やろうと思ったら何でも出来る環境にあるのを感じた時にあらためて独立しようと決意しました。」そう高城氏は振り返る。

「はじめて開業した『世田谷バル』はとにかく開業資金がなかったので、限られた資金で開業できる物件を探しました。駅から徒歩10分4坪不動産事務所の物件で、内装も自分でやりました。ガスは引かずにIH調理器を使用したのも資金を抑えるためです。」工事費等コストを抑え約200万円で開業できたという。

独立開業した「世田谷バル」は住宅街にある4坪の小規模店舗ながら、大繁盛店となり、2011年2店舗目の「リゾットカレースタンド」2013年3店舗目の「アワーズファームキッチン」そして2014年に4店舗目の出店となる「かしわビストロバンバン」をオープンと順調に店舗数を伸ばしている。

「『売り手よし・買い手よし・世間よし』という近江商人の三方良しの言葉は有名ですが、私も滋賀県出身でひいお爺さんは近江商人だったと聞いています。この考え方を大切に、お客様のライフスタイル(食文化)の一部となれるような店づくりを今後もしていきたいと思っています。」そう高城氏は語る。将来的には海外への出店もしていきたいと今後も挑戦を続けて行くとのことだ。

粥麺楽屋 喜々

無添加・無化調 健康に良い食材で、健康に取り組む人達の手助けをしたい!

佐々木 洋介 氏

和食
2005年開業

30代半ばまではレコード会社に勤務していた。飲食店を始めるきっかけとなったのは、たまたま知り合いが、移動販売車を所有していたところからその車を譲り受けたのが始まりだったという。当時移動販売車の中ではカレーや弁当を売っている車は非常に多かったが、お粥を売る移動販売は少なかった。「自分自身はまだ会社員だった時に、日本全国色々な土地で食べ歩きました。もともと料理を作るというよりは、食べる方が好きなのですが、当時食べ歩いている中で、意外にもお粥を売って繁盛している店があったところから商品的に興味を持ち、面白いだろうと考えました。」上海出身の知り合いにアドバイスをもらいながら移動販売を始めるようになったという。

移動販売を始めると、当初の思惑通り競合が少ないお粥の移動販売は好評で、安定した売り上げを作る事が出来たという。「お粥に関しては、単純に中国や台湾などで一般的に作られている中華粥と同じには考えていませんでした。やはり日本人向けに健康であり安心安全なお粥にしたかったので、素材にもこだわりました。」そう佐々木氏はいう。

プレーンな鶏粥をはじめとするお粥は、無添加・無化調にこだわり使用する米は、全国から国産米を厳選し水分含有量の少ない店のお粥に向いている米を仕入れているという。鶏は宮崎の地鶏を使用し国産の干し貝柱や調味料にもこだわりがある。

移動販売から現在の店舗を開店したのも、知り合いが経営していた店舗を居抜きで譲り受けるタイミングが合い、2005年に「粥麺楽屋 喜々」を開業。現在はお弁当の販売も含めて事業を展開しているという。

「継続していくために努力は非常に必要ですが、やはりお客様からの思わぬ評価を頂けたりする事で嬉しく感じたり、やりがいを感じたりする事で継続する事が出来ていると思います。健康に良い食材をお出しして、健康に取り組んでいる人達やお客様の手助けに少しでもなれば良いと思っています。」今後もその想いを伝え続けて行きたいとのことだ。

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