愛の飲食コンサルタント 宇井義行公式サイトThe passionate food consultants.

宇井義行公式サイトYOSHIYUKI UI OFFICIAL SITE
MENU

飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

東京都 台東区の先輩経営者からのメッセージ

黒船亭

人生観を変える手伝いを

オーナー須賀 光一 氏

洋食
1986年10月開業

いまでこそ老舗洋食店と呼ばれる黒船亭だが、老舗にも開業当初の苦い思い出はある。

一般的に洋食店のオーナーと言えば料理人のイメージが強いが、その点で言えば
須賀氏は異色の経歴の持ち主だ。
建築会社の企画職として働き、その後はアパレル業界に十数年身を置いた。

そんな須賀氏が黒船亭を始めたきっかけは、父親のこんな一言だった。

「このフロアで儲かる商売をしてみろ」

父は元々フランス料理店を経営しており赤字に転落していた。
洋食という新しい形と空中階での飲食店開業に、銀行から良い顔はされなかった。

そして開業後、案の定と言わんばかりにお客様はゼロに近い状態。

仲間は心配して「1階のショーケースには食品サンプルを置くべき」
「お店に自分の趣味のもの置くから…」など様々な厳しい意見が思いやりの言葉として飛び交った。

挙句の果てにお店の料理人からも「社長、お客がいないじゃないか!」と営業中に
客席に聞こえるように言われたこともあった。

それでも須賀氏は自分の信念を曲げなかった。
「これで良い。周りの声に流されず、自分はマーケットを信じる。」

若い女性が行きたくない店。それを無くせば良い店になる。
そんなお店をアパレルで培った経験で感覚的にわかっていた。

とはいえ半年もこの状況が続いた時、さすがの須賀氏も考えを見直すべきかと悩んだという。

そんな時、昔からの仲間がこんなことを言ってくれた。
「お前は耳が悪いのか?俺には聞こえるぞ。すぐドアの外まで近づいている
お客様の足音が。お前がやるべきことは一つ。人を増やしてピカピカに店を磨け。」

売上が立たず、普通なら人件費の見直しも迫られるような状況下でまさかのアドバイスだった。

このまま信念を貫き、お客様を迎える準備をしろというアドバイスに背中を押され、
そして次第に店は軌道に乗っていった。

あれから数十年経った今でも、須賀氏は清掃に余念がない。

「トイレ無臭化作戦」と銘打ち、トイレの床から天井までナノコーティングを
取り入れているという。

そんな須賀氏だが、苦労はここで終わらない。

黒船亭が軌道に乗った一方で、辛い出来事も起こった。
毎月多額の赤字を抱えるプロジェクトがあったのだ。

最悪の事態を考えたとき、死んだつもりで働こうとがむしゃらに働いた。
そのがむしゃらという想いが赤字を解消した。

繁盛店となった今、須賀氏は黒船亭で独立支援を行っている。
その支援の内容は主に”気づきを与える”こと。

料理の技術や経理は教えることが出来ても、それ以上のことは
自分で気づかないと信念は形成されない。

信念がない店にはお客様は来ない。逆に言えば、強い想いや信念があれば
お客様が寄ってくるお店になると。

須賀氏が独立支援を通してここまで真摯に向き合うには理由がある。

「苦労が人を成長させることは確かだが、自分のような辛い経験は若い人には
させたくない。だから自分は気づきを伝えたい。
せめて自分がした苦労の中で気づいたことを、若い人に伝えたい。」

このように語る姿は、どこか父親のような兄貴分のような印象を受けた。

肉めし かとう

仕事に終わりなし!

加藤 友弥 氏

焼肉
2015年開業

 元々格闘技の世界で生きてきた。警備会社(身辺警護など)の役員として警護現場の仕事をしながら訓練や試合と命がけの毎日の中で先輩や上司が経営する飲食店に興味が湧き、家族が増えるタイミングで真剣に考え始め先輩の経営する都内のステーキ店に6ケ月間、焼き方や捌き方などの修業をつけてもらいに行ったそうだ。開業に向け多くの方々のサポートを受けた、例えばOPEN間近になると「ノック」として実際にお客様が来られたことを想定したロールプレイングを連日開催してくれたり、業者さん関係を紹介してもらったり順調に開店準備を行っていった。目指したのは“自分が行って嬉しい、お肉をテーマにした、安くて早くて美味しくて、高級そうに見えるけど入ったらリーズナブルでがっつり食べられるお店”だ。OPEN前後は本当に寝る時間が取れない体力勝負の毎日でお店の床で仮眠することも良くあったそうだ。1年間休みも取らないような日々を乗り越え、現在は業種の違うお店を3店舗経営するに至った。これまで継続してこられた秘訣は「気合い!」と即答、「どんな仕事であれ仕事には終わりがないので如何にモチベーションを保ち続けられるかが勝負。」と語る。経営者として一番大事にしていることは「全て楽しむこと!」物事は考え方ひとつで全く変わってしまうので、辛いことを楽しむことができるように考え面倒なこと、大変なことから先にすることが大事だと考えているそうだ。今後は下町に現在の業態で多店舗出店し下町のソウルフードとして多くの方に楽しんでいただける場所を提供し、市場規模の莫大な海外出店も視野に入れた展開を行っていくそうだ。これから始められる人には「(飲食業は)辛いよ!だけど楽しいよ!」と熱いエールを贈る。

桜なべ 中江

信頼という暖簾を大切に、親しみとくつろぎのおもてなし

中江 白志 氏

馬肉料理
1905年3月

老舗桜なべ屋の4代目として生まれ、小さい頃からお店は自分が継ぐものと思っていたという。

桜なべとはそもそも、文明開化で日本人の四足動物食が解禁され、横浜で「牛鍋」が流行っていたことから「牛が美味しいなら馬も美味しいかも」と、馬で鍋を作ったのが受け、桜なべは吉原の「流行グルメ」になったとの事。最盛期には吉原大門前の通りに20軒以上のお店が並んでいたそうだ。

純国産の極上桜肉を使用した東京の郷土料理である桜なべを、国の有形文化財に登録された大正建築の店舗で食していただけるのがお店の魅力。看板メニューはもちろん「桜なべ」。

開業から6年後の明治44年には吉原大火に見舞われ、さらに再建後約10年経った大正12年には関東大震災によって店舗が消失。20年の間に3回店舗を新築しなければならなかったことは大変な苦労だったという。

ご主人(4代目)は、バブル崩壊後に跡を継いだのだそうだ。老舗の伝統や格式を守る事と、節約・緊縮経済の流れとのぶつかり合いで、舵取りの難しい時期だったとの事。しかし、早くから先代よりお店の全権を任されていたので、プレッシャーはあったが、比較的スムーズに経営を引き継ぐことができたという。

長きにわたり、お店を継続してこられた秘訣は、その時代時代の、お客様の求める価値観に合わせた情報の提供をしてきたからではないか、とご主人は語る。

経営理念は、
「信頼という暖簾を大切にし、親しみとくつろぎのおもてなしと感謝の心でお客様に接する桜肉料理の専門店であり続ける事。」

今後の展開としては、食用に最適な肉質の食用馬の開発と安定供給だという。

これから始められる方へは、
自分のこと、今のことだけで精一杯にならず、周囲のこと、将来のことまで考えられる余裕を持った運営をして欲しい。とエールを贈る。

釜めし 春

「できたてを食べて頂きたい!」という想いからはじめた、元祖釜めし!

豊田 隆 氏

釜めし
1926年開業

創業は大正15年(1926年)。現在の三代目豊田氏の祖母が、関東大震災後混乱の中避難している人々に釜を使って炊き出しをしたのがはじまりだという。「美味しいご飯をできたてで食べて頂きたい!」そんな想いから誕生したのが、一人前の御飯を具材と共に釜で炊き提供する「釜めし」だという。当時は1人前を炊ける釜など当然なかった頃、初代が釜の大きさや底の高さなど試行錯誤を繰り返し、1人前の釜を職人に作らせ提供するようになった。

その当時どこにもなかった商品は話題を呼び、店名も「釜めし」とのみうちだして営業していたとのことだ。元祖と呼ばれる所以である。戦後浅草で新たに店を構えた当時は、復興のために「釜めし」を他の飲食店にも快く提供し、浅草周辺に広め他の飲食店と力を合わせ活気を呼び戻したという。現在でも浅草周辺では、釜めしをメニューとして出す店が多いのはそんな歴史があるからだ。

「『釜めし 春』の釜めしは、米を吟味することからはじまる。炊きあがりが水っぽくならず少し甘めの良質な国産米を毎年厳選して使用する。大正時代から変わらない醤油・日本酒・みりんで作る特製たれと具材から染み出る旨みで、味わいを出すのだという。

代々受け継がれてきた、老舗の変わらない味を求めて、親子3代にわたって通い続ける常連客も数多いとのこと。お正月は特に1年の中でも繁忙期を迎える、家族で釜めしを楽しみに毎年遠方からやってくるお客様もいるということだ。

現在は三代目豊田氏から、四代目に代替わりを進めているという、今後も家族経営で浅草本店と上野店で老舗の味を守り続けて行く。

元祖焼かつ 桃タロー

厳選した素材をこだわりの調理方法で提供!老舗の味を守り続ける

長谷川 博 氏

焼かつ
1936年開業

上野の精養軒で修業した初代が、御徒町で創業したのが昭和11年から12年頃。名物の「焼かつ」とは、明治時代ごろヨーロッパから日本に伝わってきた「カツレツ」をもとに初代が素材・味・調理法に工夫を重ね店の看板商品にしたのがはじまりだ。

戦後浅草に移転し、今は3代目が老舗の味を守り店を切り盛りしている。

「良い素材や調理方法にこだわれば、やはり原価も手間もかかります。効率的ではないかもしれないが、やはりこの味を美味しいと言ってくれるお客様の為に続けていきたい。」そう三代目店主の長谷川氏は語る。

名物の焼かつは、「あっさり・さっぱりと美味しく食べれる。」と年配のお客様にも非常に好評だ。油に落として揚げる一般的な「とんかつ」とは違い、1枚1枚常に新しい上質の油を用いフライパンで丁寧に調理する事で、油がしつこくなく衣がさっくりと仕上がり、美味しく食べて頂く事が出来るのだという。

トンカツソースも厳選し、皇室御用達とされた「プリンスソース」を使用している。そんなこだわりの「焼かつ」にほれこみ、親子3代で通っている常連客も多いという。けして目立つ場所にあるわけではない路地裏の店だが、ランチタイムは満席となる。

それでも長谷川氏は、「飲食店の経営は決して甘いものではない。」という。食材価格が上がる中で、お得だと感じて頂く値段で出すために厳しい状況も乗り越えて工夫を続けて行く必要があるからだ。また「手間を惜しんでは、美味しい物は提供できない。」と創業当初から受け継がれた調理方法にこだわり今後も店の味を守り続けていく。

1 / 212

飲食店先輩経営者からのメッセージトップへ戻る

ページ最上部へ