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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

東京都の先輩経営者からのメッセージ

十割蕎麦処 くりはら

素材にこだわり、ごまかさない本物を伝える!

栗原 宏久 氏

そば
2002年開業

『十割蕎麦処くりはら』は店主の栗原氏が、石臼で挽いた自家製粉の挽きたて十割蕎麦と無農薬有機野菜を使用し調味料までこだわった料理を楽しめる蕎麦店だ。20代前半のころは大学の図書館で司書として働いていたその後が、「30歳の時に陶芸に出会い、独学で陶芸を勉強し陶芸家として陶芸教室を主宰してきたという。

蕎麦店を開業するきっかけは、信州に住む彫刻家の友人を訪ねた折に、そこでとれた蕎麦粉で作られた手打ち十割蕎麦の美味しさに感動し、自分でも打ってみようと決断し、はじめは家族のためだけに打っていたが、徐々に友人のためにふるまうようになり、蕎麦打ちライブとして居酒屋を借りたイベントも定期的にするようになったという。その活動を5年ほどした後、自宅の1階を店舗として開業をしたとのことである。

「陶芸と蕎麦打ちに共通していることは蕎麦粉や粘土を練って伸ばす工程です。もともと手先は器用な方なので、どちらも独学で学び習得しました。」そう栗原氏は振り返る。

『十割蕎麦処くりはら』では、こだわりの蕎麦はもちろん、栗原氏が手間をかけ作っている柚餅子やそばがきなどおつまみと共に、新潟の酒蔵が限定生産している入手困難な日本酒『鶴の友』も楽しむことが出来る。「素姓のはっきりとした食材を使用し、ごまかさないで本物の味を伝えて行きたいと思っています。料理は素材で8割~9割が決まると思っています。どんなに技術が高くてもそこをおろそかにしてはだめだと思っています。」そう栗原氏は語る。食材と細部へのこだわりは多く、店の器はすべて栗原氏が作り、蕎麦粉をふるう道具も手作りである。屋上には約10tもの土を入れ菜園を作り葉物を中心に有機野菜を育てているという。

開業から14年目となり今では、遠方から評判を聞いて訪れるお客様も多いそうで、今後もごまかしのない本物の味を伝え続けて行きたいとのことだ。

cafe use

珈琲の味を追求し続けたどり着いた、日本人に合う美味しい珈琲の味

古市 敦 氏

カフェ
2004年開業

もともと両親は流通業界で会社経営し、古市氏も30代半ばまで流通業界で仕事をしていたという。当時から美味しいものを食べ歩くのが好きだったという古市氏は、2004年脱サラし当時カフェの流行りだったこともあり、スペシャルティ珈琲専門店『cafeuse』 を開業したのだという。

「開業前は、色々な店も行きましたが、自分の思い描くような美味しい珈琲を出している店はありませんでした。それならば自分自身でやろうと、独学で珈琲豆の勉強や珈琲の淹れかたを学びました。」地元だった渋谷や下北沢を中心に物件を探し、賃料条件や土地勘もあった下北沢に開業したという。「飲食店の経験はありませんでしたが、逆にまっさらな状態からスタートしたことが、今では良かったのかと思っています。」「業界の基準のようなものにとらわれずに美味しいと思う珈琲の味を追求しました。」そう古市氏は振り返る。

『cafe use』 は世界に流通している珈琲豆の中でもトップクオリティの「スペシャルティ珈琲」のみ扱っている専門店だ。珈琲1杯に使用する珈琲豆の分量も一般的な分量の倍以上を使用し、低温で時間をかけて抽出することで美味しいところのみ提供することが出来るという。珈琲はブラックで味わってもらいたいというのが古市氏のこだわりだ。旨みは濃厚だが線が細い珈琲の本当の美味しさを感じて頂くためには、ブラックで飲んで頂くのが一番だという。

「珈琲豆は焙煎する人によって、味が大きく変わります。本当に自分自身納得する味を出したいと思い、店舗で自家焙煎した珈琲をお出しいています。」「お客様に『美味しい珈琲をありがとう』と言われた時は、本当に嬉しく感じましたし、それがやりがいにもなっています。」珈琲の美味しさは、苦みと酸味とコクのバランスで、一口飲んで美味しいと感じる珈琲が一番だという。今後も継続して珈琲の美味しさと魅力を伝え続けて行きたいとのことだ。

こけら

美味しい魚を食べてもらいたい!その一心でお店を切り盛り!

渡邊 兼二郎 氏

居酒屋、海鮮
2010年開業

独立開業を考え始めたのは、25歳の時だったという渡邊氏。学生時代から飲食店でアルバイトをはじめ、下北沢の有名な鮮魚居酒屋で修業を積んできたという。店長として店を任されながら、30代になった時に35歳までには独立を使用と具体的に準備をはじめ、2010年34歳の時に下北沢に海鮮居酒屋「こけら」を開店した。

下北沢は地元だったという渡邊氏、土地勘があり地元に密着した店舗を作りたいと考え、オーディオ事務所だった物件を改装し金融機関からの融資も受け開業を果たしたという。 「開業後は半年ぐらいで軌道に乗れば良いかなと考えていました。実際は数カ月厳しい時期を過ごし販促にも力を入れ、初年度の12月位になんとか軌道に乗せました。地元のお客様には徐々に認知されてきた頃、震災がありましてその時は本当に厳しかったですね。」そう渡辺氏は当時を振り返る。

店のウリは毎日欠かさず市場で仕入れる獲れたての季節の鮮魚だ。その時その時の旬の魚を一番美味しい食べ方で提供している。「美味しい魚を食べてもらいたい!その一心でお店を運営しています。」そう渡邊氏はいう。獲れたてで仕入れる鮮魚を、どうしたら一番美味しく食べる事が出来るか考え、その都度一番美味しく食べられる調理法で、お客様にお出しするのがこだわりだという。

「獲れたてをすぐ食べて美味しく感じる魚なのか、しばらく寝かせた方が美味しくなるのか。魚の種類や旬によっても違いが出ます。」「お客様から『美味しかった』・『また来るよ』と言って頂くために続けています。」と渡邊氏は語る。

鮮魚の美味しさと気軽に楽しめる雰囲気に、20代の若者からファミリー層、70代のお年寄りまでお客様の層は幅広い。将来的には、下北沢を中心に複数直営店を店舗展開をしていきたいとのことだ。

シェイクツリー

人を喜ばせる!好きな仕事で自由に生きる

木村 雄太 氏

ハンバーガー
2011年開業

店名の「シェイクツリー(shake tree)」とは、人を喜ばせるという意味のshake a person`s Treeという言葉が由来となっている。

オーナーの木村氏は、飲食店のアルバイトからアメリカンレストランや有名ハンバーガー店での修業を積み29歳の時に「シェイクツリー」を開業した。「開業前に働いていたハンバーガー店のオーナーが25歳で独立をしていたので、自分自身も30歳までには独立をしようと目標を立て、開業資金を貯めました。」約5年間で目標額を貯め、合わせて出店物件を探し始めたという。「もともと生まれ育ったこの地域で出店を考えていました。実は当時働いていた店に出勤するのに今の店の前を通っていたのですが、この店舗の場所には以前から目をつけていました。前は中華料理の店だったのですが、本当にタイミング良く店が空く事になり迷わずここに決めました。」そう木村氏は振り返る。

シェイクツリーのハンバーガーは使用する肉にこだわりがある。挽肉だけではなく店でチョップした粗めの肉を混ぜ、ジューシーかつ肉肉しい食感を楽しんで頂けるように工夫している。またスタンダードな肉と野菜の組み合わせだけではなく。ワイルドアウトと呼ぶ、バンズを使わない肉とトマトのみで作ったバーガーや、チョップミートのみ使用したステーキのような食感を味わえるバーガーも、メニューにラインナップされている。

「実際にアメリカに行った時に感じた、店の雰囲気や商品など参考にして店づくりをしています。バーカウンターを店につけた形にしたのも、ハンバーガーやお酒を楽しみながら店のスタッフや、お客様同士陽気な声にあふれ楽しんでいる姿を見て、『こんな店を自分でも作りたい』と想ったからです。」「ただ商品を出すだけでは、チェーン店と変わりません。ひとりひとりのお客様との時間を大切にして行きたいと思っています。」そう木村氏は語る。今後も自分自身やスタッフが、まず楽しみながら仕事をしお客様に喜んで頂ける店を続けて行きたいとのことだ。

粥麺楽屋 喜々

無添加・無化調 健康に良い食材で、健康に取り組む人達の手助けをしたい!

佐々木 洋介 氏

和食
2005年開業

30代半ばまではレコード会社に勤務していた。飲食店を始めるきっかけとなったのは、たまたま知り合いが、移動販売車を所有していたところからその車を譲り受けたのが始まりだったという。当時移動販売車の中ではカレーや弁当を売っている車は非常に多かったが、お粥を売る移動販売は少なかった。「自分自身はまだ会社員だった時に、日本全国色々な土地で食べ歩きました。もともと料理を作るというよりは、食べる方が好きなのですが、当時食べ歩いている中で、意外にもお粥を売って繁盛している店があったところから商品的に興味を持ち、面白いだろうと考えました。」上海出身の知り合いにアドバイスをもらいながら移動販売を始めるようになったという。

移動販売を始めると、当初の思惑通り競合が少ないお粥の移動販売は好評で、安定した売り上げを作る事が出来たという。「お粥に関しては、単純に中国や台湾などで一般的に作られている中華粥と同じには考えていませんでした。やはり日本人向けに健康であり安心安全なお粥にしたかったので、素材にもこだわりました。」そう佐々木氏はいう。

プレーンな鶏粥をはじめとするお粥は、無添加・無化調にこだわり使用する米は、全国から国産米を厳選し水分含有量の少ない店のお粥に向いている米を仕入れているという。鶏は宮崎の地鶏を使用し国産の干し貝柱や調味料にもこだわりがある。

移動販売から現在の店舗を開店したのも、知り合いが経営していた店舗を居抜きで譲り受けるタイミングが合い、2005年に「粥麺楽屋 喜々」を開業。現在はお弁当の販売も含めて事業を展開しているという。

「継続していくために努力は非常に必要ですが、やはりお客様からの思わぬ評価を頂けたりする事で嬉しく感じたり、やりがいを感じたりする事で継続する事が出来ていると思います。健康に良い食材をお出しして、健康に取り組んでいる人達やお客様の手助けに少しでもなれば良いと思っています。」今後もその想いを伝え続けて行きたいとのことだ。

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