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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

愛知の先輩経営者からのメッセージ

しげ家

” いつ来ても変わらない味”でおもてなし

中森 滋巳 氏

ラーメン
2002年10月

実家は喫茶店を経営されていたそうで、自分は違うことしたいと思い、他の業界へ、。しかし、体を壊したこともあり退職。その後結婚し、夫婦で居酒屋を始めたのが、飲食店を始めたきっかけだったそうだ。

居酒屋の経営は順調だったが、同時に、ラーメンにもどんどん興味を持ち始めたのだという。自分がラーメン好きというのもあるが、様々なメニューを用意して、色々な好みのお客様にきていただく居酒屋より、好みがはっきり分かれ、好きな人だけが通ってくれる、ラーメン専門店の方が自分に向いている、と感じたのだそうだ。

ラーメン屋をやろうと思い立ってから約5年、夜は居酒屋をやって、昼はラーメン屋に修行に行っていたとの事。居酒屋が結構繁盛していて忙しかったので、一時はあきらめかけたが、一度きりの人生で、悔いを残したくないので何とか開業にこぎつけたのだという。

当時(2000年頃)の豚骨ラーメンは細麺が主流だったが、自分は太麺で勝負したかったそうだ。特に、東海地区には太麺の豚骨ラーメンがなかったので、自分がやりたかったと、ご主人は語る。

最初は朝早く夜遅くまで営業。寝るのは3時間ぐらいだったそうだ。精神的にも肉体的にもきつかったが、お客様の食べた瞬間の表情というか、自分が作ったラーメンに”はまった”顔を見る事が、自分の原動力になっていたと、当時を振り返る。

開業から数年後、地元の雑誌のラーメン特集で、東海三県の殿堂入り8軒に選ばれ、一気に知名度がアップ。今までやってきたことが報われた、と実感されたのだそうだ。

自分がおいしいと思うものを作って、それをおいしいと思う人が食べてくれることが、お店の原点。自分が納得できないモノは出さないし、無理にお客さんの好みに合わせることもしない。気に入った人が食べに来てくれればいい、という気持ちでやっているとの事。自己責任でやっている。

人気メニューは、とんこつしょうゆラーメン。最近はさらに麺にパンチのある極太麺も人気だそうだ。

これまで続けてこれたのは、「いつ来ても変わらない味」という考えで、どんな時でも、この味を守りつづけてきたことだと思う、とご主人は語る。ただ、常連のお客様の年齢にあわせて少しメニューも増やし始めたそうだ。

今後は、任せられる人が育ったら、新たな出店も考えたいとの事。

これから始める方には、
目先の欲より、自分の信念を貫き通してほしい。はやりに左右されないでほしい。とエールをいただいた。

ぎんや

数ある店の中から当店を選んでくれたお客様に感謝

落合 弘忠 氏

ラーメン
2004年7月

実家は果物の卸売りをやっていて、その影響もあり、元々はフルーツパーラーをやりたいと、なんとなく考えていたとの事。
とにかく、お店を持ちたい気持ちが強く、20歳頃には、家業を手伝いながら休日には喫茶店でアルバイトをしていたのだそうだ。

その後、イタリアンのお店や、焼き鳥店のFCオーナーとして、飲食店経営を経験。どちらの業態も業績は好調だったが、2002年の道交法改正による、飲酒運転の罰則強化がきっかけで、赤字とまでいかないが、利益が出ない状態になったのだという。

やはり、オリジナルなもので勝負したいという思いが強くなり、自分のラーメン好きを活かした、ラーメン専門店をやろう、と決意。当時は焼鳥店と並行しながら、ほぼ独学でラーメンの研究やオリジナルメニューの開発を進めたのだそうだ。

そして、2004年の4月、濃厚かつ香り高い、独自の魚介豚骨スープの「豚そば」や、濃厚スープ&極太麺の「つけ麺」が売りのラーメン専門店をオープン。当初は集客に苦労したが、マスコミの取材後、順調に売上げがあがっていったのだという。

その後、まぜそばなども投入。さらに幅広いお客様に来ていただけるようになったのだそうだ。看板メニューはやはり「豚そば」との事。

お店を継続できたのは「お客様が来てくれる事はあたりまえではない」という思いが根底にあるから。とご主人は語る。その思いは従業員に伝わっていって、お客様への心からのおもてなしにつながっていくのだという。
「私達はラーメンを通じて関わる全ての人を元気にします」が、お店の経営理念。

今後の展開としては、
”人”を重視した展開指針を軸に、国内外問わず文化の違う地域へ出店を行い、仲間を増やしていく企業創りを目指すのだという。
また、万人受けはしないが、熱烈なファンのできる、個性的な一杯を目指して、新たにラーメンも開発中だそうだ。

これから始める方へ、
お金儲けが目的だったらやめたほうがいい。飲食店を好きだったらやったほうがいい。
いい時ばかりはない。悪い時があっても続けられるくらい好きな事だったらやったらいい。とエールを贈る。

さんぽ道

1,000人の新規より、1人のお客様に1,000回来ていただくお店に!

市川洋至 氏

カフェ、ケーキ
2004年4月

元々は農業用資材の会社で10年以上勤務。当時は徹底した仕事人間で、家庭をほとんどかえりみない生活だったという。出世はしたけれど、成功と幸福は別物なんだと、心の中でなんとなく思っていた。充実感がなかったのだそうだ。

そんな時、たまたま蜂蜜の業界から、お誘いがあり、転職を決意。家族経営の小さな養蜂場だったそうだ。そこで15年勤め、後継者が戻ってくるタイミングで退職したとの事。

そして、地元豊川市に戻り、自身のお店を開業。カフェと蜂蜜販売のお店をスタート。

経営理念は、 
・1,000人の新規より1人に1,000回来てもらえる店づくり
・地域に必要とされる店づくり

一切広告をやらずにスタート。新規客に一気にたくさん来ていただくより、時間がかかってもいいから、1人1人しっかり丁寧に対応して、また来ていただく努力をした。しかし、1年目は、経営的には非常に苦しく、夫婦2人で運営していたが、給料はほぼ出せない状況だったのだそうだ。

しかし、携帯電話・スマホの普及とタイミングがあったので、個性のあるお店だと、昔に比べて情報が凄く早く広がっていくのを実感したとの事。また、マスコミも、今まで以上に、常に新しい情報を探して、取材も結構あったという。

お店は当初、蜂蜜販売がメインでカフェはサブ。飲み物だけ(コーヒー・紅茶程度)で考えていたが、お客さんはお茶をすればお菓子が食べたくなる。最初はまかないレベルで手作りのケーキを希望される方に出していたが、だんだん人気が出てきて、そのレベルでは足りなり、テイクアウトの要望も出てきた。そこで、同じ敷地内にケーキ工場も建設し、自家製のケーキを提供することになったのだという。

口コミの広がりで、遠方からも多くのお客様が来てくださって、悪立地にもかかわらず、週末は行列が絶えないお店になったのだそうだ。

しかし、安易に席数を増やすことはせず、セットメニューを工夫して、客単価を上げることで売り上げをアップさせる形をとっているとの事。

人気メニューは「はちみつシフォンケーキセット」。旬のフルーツをたっぷり使った期間限定の「スペシャルスィーツ」も人気。そして、これらはテイクアウトできなくて、お店でしか食べられないメニューになっているので、強い来店動機になっているのだという。

お店はやっていくと必ず迷いが生じるもの。そこで、立ち戻る事ができる、明確な理念があれば決してブレないし、しっかりとした計画があれば修正もしやすいとの事。なので、これから始める方にはまず、理念と計画をしっかり立ててほしい、とエールを贈ってくださった。

らぅめん考房ありがた屋

すべての方に感謝を込めて、日々ラーメンづくりしています

牧野 公豪 氏

ラーメン
2004年4月

専門学校(飲食関係ではない)を卒業後、その業界で就職。しかし、ラーメン好きが高じ、仕事の合間に食べ歩きを重ね。30歳の時に、思い切って独立。今にして思えば甘かったとの事。当時は、独立してもなんとかやっていけるだろう、ぐらいの気持ちで開業したのだという。

立地にもあまり深く考えないで、土地勘のないところに出店。そんな状態なので、味には自信があったが、開業当初はほとんどお客さんも来てもらえず、ピンチに。

開業から2年、奥さんの地元である今の土地に移転を決意。その後はお客さんも徐々に増えていったそうだ。
そんな時、TVでも紹介され、一気に行列のできる人気店に。嬉しい事ではあるが、まだ実力不足だったと思う、とご主人は語る。忙しすぎて、お客さんの顔も見れていない状態。必死に作って出すだけだったという。十分におもてなしができていない状態で、インターネットに批判も書かれたりして、お客さんはまた減少。

オープンから数年間は本当に波の激しい時期だったのだそうだ。もう一度原点に帰り、目の前のお客さんに全力でおもてなしをすることを心掛けたとの事。その間も、納得のいく一杯を追求し続けたのだという。

そのかいあって、また徐々にお客さんの信頼を回復した5年目、お店の一層の魅力アップを目指して、自家製麺に取り組むことを決意。その後は、いい評判が広がって現在に至っているのだそうだ。

しかし、これまで続けてこられたのは、周りのみんなが助けてくれたから。お客さん、家族、スタッフ、取引先、すべての人に本当に感謝している、とご主人は語る。店名の「ありがたや」にはそういう意味が込められているのだそうだ。

経営は正解が一つではない、勝利の方程式はない。成功は人それぞれ。失敗や回り道もあっていいと思う。とご主人は語る。

看板メニューは「無化調の醤油ラーメン」
メニューを考えるときは、常連の◯◯さんや□□さんや△△さんの喜ぶ顔を浮かべながら考えるとヒットメニューが生まれるのだという。

大事にしているのは「伝える事の大切さ」面倒がらずに、おいしいことをちゃんと伝えることを心掛けているのだそうだ。

今後は、人手不足になっていくから、省力機器なども積極的に導入していきたい。(味に影響が出るもの以外)そうすることで時間を作っていって、経営者として考える時間・動ける時間をもっと持ちたいとの事。

これから始められる方に、
取り返しのつく失敗は、いい経験になるので、自分が信じた事、いいと思った事は、どんどんチャレンジしてほしい。とエールを贈る。また、困った時には意地を張らず、人に助けてもらうことも大切なのだという。

奥志摩

人に親切にし、楽しく幸せに生きる

中村 文也 氏

居酒屋
1983年3月

三重県志摩市の出身で、実家は漁師。決して裕福とは言えない家庭で育ち、小さいころから、大人になったら、お金持ちになりたい、と思っていたのだそうだ。

高校卒業後、名古屋で働くことにしたのだが、当時はまだ何をしたいかがはっきりしていなくて、仕事が長続きせず、12もの仕事を転々としたとの事。

しかし、最後に出会った水商売は、自分にあっていると感じ、一番長く続いたのだという。接客業こそが天職とこの時気づいた、と中村社長は語る。

ほどなくして、7坪の小さな居酒屋を25歳でスタート。飲食店経営はまったくの素人だったが、自らの接客が受け、お店は最初から好調だったのだそうだ。料理に自信はなかったが、お客様や、周りのお店の料理人さんなどに、とにかく聞きまくり、お店の料理に取り入れていったのだという。

おかげで、料理のレベルも徐々に上がり、自身の人柄が、お客様はもちろん、同業者にも気に入られ、さらにスタッフにも恵まれ、34年間、苦労らしい苦労はあまりなかった、と社長は語る。

最初は看板メニューと言えるものはなかったそうだが、2店舗3店舗とお店が増えていくにつれ、自身の出身である、志摩地方の名物や郷土料理を意識して増やすようになったとの事。

てこねずし、伊勢うどん、アッパ貝。などが人気メニューとなり、もっと伊勢志摩を前面に打ち出していこうと思ったのは12年ほど前からだそうだ。

大切にしているのは「どれだけお客様のことを考えているか。」スタッフ一人一人が『絶対お客様に喜んでもらおう。』と思う事が重要なのだという。なかでも、一人客は特に意識して大事にするよう伝えているとの事。

座右の銘は「他人に親切にして、楽しく生きよ!」人の喜ぶ事をする。おもてなし精神が大切。と語る。

今後はまず、世の中に減りつつある、本格炉端焼き業態をしっかり守っていくこと。次に、当社としての新業態である、餃子居酒屋店の展開。これが順調にいけば、東京進出の予定だという。

これから始められる方はまず、お客様の声をしっかり聞いてほしいとの事。お客様の声を聞き、お客様が喜ぶ事を提供すれば、必ずまた来てくださる。自分も真剣に聞いてきたから今があるので、頑張って欲しい。とエールを贈っていただいた。

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