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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

愛知の先輩経営者からのメッセージ

和田屋

お値段以上の感動を提供します!

和田篤憲 氏

ラーメン
2002年

もともとは、工業製品をあつかう営業マン。ラーメンは大好きでいろんなラーメンを食べ歩いたとの事。3~4年はサラリーマンをしていたが、知り合いのラーメン屋に声かけられて手伝うことになり、退職。基礎はそのお店で学んだのだという。調理技術だけでなく、経営、接客の基礎も学ばせてもらい、1年後、自分の店を出したのだそうだ。

ただ、予定していたのれん分けはうまく進まず、結局断念。その影響もあって開業当初は、思うように売り上げが伸びず資金繰りが大変だったとの事。

その後、徐々に常連さんが増えていって、お店が軌道に乗ったが、お店のコンセプトを明確にしたことが良かったと思う。とご主人は語る。

開業当初は「オレのラーメンが一番おいしいから、食べてみろ!」みたいな気持ちでやっていたそうだが、これではなかなかお客さんには受け入れてもらえない。そこで「お値段以上に、感動していただく」をコンセプトとし、お客様の目線で商品やサービスを磨いていったのだという。

売れ筋は、大盛り極太麺と山盛りチャーシューでボリューム満点の「ハイパージロージョン」ラーメン検索サイトの企画から生まれた限定メニューだが、好評でグランドメニューになったのだそうだ。

「よそがやらないことをやる」をモットーに色々な挑戦をしてきたことが、継続してこられた秘訣だとご主人は語る。
週に1日だけ、お店のメニューをガラッと変えて、営業したり、移動販売(キッチンカー)も取り入れ、待っているのではなく、人が集まるところに出かける取り組みもしているとの事。

「すべてにおいて、いろんな方に感謝」「プライドでは飯は食えない」を経験の中からつくづく実感したので、実践中。お客さんはもちろん、スタッフにも、業者さんにも心から感謝しているという。

今後2号店も考えているが、タイミング次第。スタッフが育つ、いい物件に出会う、資金的な問題。すべてにいいタイミングを探っている。”その時”に備え、いつでも動けるようにはしているのだそうだ。

お店を出すのは簡単、継続が大切。という事を常に意識してチャレンジしてほしいと、後輩にエールを贈る。

いちごの丘

とれたて新鮮いちごのケーキでおもてなし

石川雅巳 氏

カフェ、ケーキ
2007年12月

大学卒業後、27歳までサラリーマンを経験した後、父親が経営していた、アウトドア&レジャー施設を継ぐ。その多角化の一環として、いちご狩りのできる農園と併設するカフェを始めたとの事。1ヶ月くらい、イタリアでのアグリツーリズム(農村で休暇を過ごす旅)に参加。そこでの体験がきっかけだそうだ。

カフェで気を付けたのが、一般のカフェとの差別化。ケーキではパティシエのつくるケーキと勝負にならない。新鮮ないちごを豊富に使っているという点が強み。メニューは「いちごロールケーキ」「いちごタルト」「いちごパフェ」など、強みを活かしたものに限定しているのだという。

売上げも当初は波があったが、常連客が定着した事と、従業員のスキルがあがってきたおかげで、経営は安定してきたそうだ。ちなみに、スタッフはこの10年でほとんど変わっていないそうだ。

また、いちご農園併設のお店なので、営業する期間は、いちごが収穫できる12月から5月の半年のみ。その限定感も、長くお客さんに支持されている要素だと思う、と社長は語る。

座右の銘は「他人がやらないことをやる。」新たなカテゴリーを作る事ができれば、競争も起きにくいし、長く続くのだという。

これから始める方は、自分で新しいカテゴリーを作らないと厳しいとの事。たとえ小さく限られた規模であっても” これなら一番”というものをぜひ目指してほしいし、作ってほしい、とエールを贈る。

はる樹

本気のこだわりと、感謝を込めた一杯をご賞味ください!

新本茂樹 氏

ラーメン
2007年10月

学生時代は東京に在住。アルバイトで居酒屋、カフェなどを経験。おりしも、当時はラーメンブーム。その頃、ラーメンの食べ歩きを開始したのだという。

卒業後は、名古屋に戻り、輸入商社の営業マンとして、10年間勤務。しかし、何か自分でやりたい、という気持ちが日に日に強まっていったそうだ。同時にラーメンの食べ歩きも加速し、年に200杯は軽く超えていたとの事。
すでに結婚して、子供もいたので、独立開業か、サラリーマン継続かでずいぶん悩んだのだという。

そんな時、中学・高校時代の同級生がラーメン店を開業。これがきっかけとなり、将来の独立を見据えて、そのお店で働くことを決意。3年間の修業の後、妻の実家もあり、自身も大好きな町である、春日井市で開業。体にいいラーメン作りを追求し、地域密着で30年続く、地域一番店を目指してスタートしたのだそうだ。

オープン直後はかなり多くのお客様に来ていただけたが、3か月ほどでパタッとお客さんの波が途絶えた。そこから半年ぐらいは本当に苦しかったとの事。
徐々に地元の方に知られるようになり、じわじわ常連客が増えていったそうだ。この時、あきらめずに、そして一切の妥協はせず、もちろん決して手を抜かずに続けたことがお客様の信頼を得られたのだと思う、とご主人は語る。

看板メニューは、玉ねぎをたっぷり使った和風だしのあっさりスープに、特製細ちぢれ麺が絡む「はる樹の中華そば」。お客様のほぼ8割が注文するのだそうだ。

これまでやってこられたのは、『おいしいのは当たり前。丁寧な接客で、お客様に心から満足していただく』事を常に意識してきたからだと思う、とご主人は語る。

お客様はもちろん、お店に関わる全ての人への感謝の気持ちでいっぱいだそうで。中でも奥さまには最大の感謝をしているとの事。

今年で10年という節目になるが、今後はチームで動けるようにしたいと語る。今は、お店を任せられる人を育てることに取り組み中だそうだ。

これから始められる方へ、好きな事で飯を食うのは、決して無理なことではないから、あきらめずにチャレンジしてほしい!
とエールをいただいた。

響・旬味酒彩

全てに感謝!和の心でおもてなし

野呂康司 氏

割烹
2002年6月

子供時代から独立心があり、個人経営のお店や仕事をやりたいと、なんとなく考えていた少年だったそうだ。

飲食業界に入るきっかけは、高校生の時のステーキハウスでのバイト。そこで、飲食店の魅力を感じたとの事。

さらに、そのお店の常連客のある有名ホテルの料理長との出会いがあり、それがきっかけで、飲食業への興味や期待がさらに深まったのだという。
知り合ったホテルの料理長が和食の方だったので高校卒業後は、迷わず和食の道に。名古屋の大手有名ホテルで7年、和食料理人として修業。
その後地元の三重に戻り修行を続け、結婚を機に愛知県に引っ越し、27歳の時に知多の大型リゾート施設の和食部門の副料理長を務める。それからも板長として複数の和食店で腕を振るってきた、生粋の料理人。

お店は2002年にオープン。以前勤めていたリゾート施設の紹介というかご縁で現在の物件にであったとの事。

お店のコンセプトは、「自分が心から行きたいお店」だそうだ。

人気メニューは、自家製響豆腐、だしまき玉子、そしてお刺身。ネタはもちろんこだわっているが、醤油もオリジナルブレンドしているとの事。さらにぽん酢も自家製。仕入れにも力を入れていて、毎日自ら市場に出かけ、週に2回は名古屋の柳橋中央市場まで出向いているのだという。

資金集めに苦労してやっとオープンしたお店は、自分の予想と全く違って、お客さんが入らなかったとの事。

この時はじめて、それまで料理人として生きてきた自分に悩まれたそうだ。それ以来、経営について、深く考えたり、様々な会に顔を出すようになった。

その結果、遅ればせながら、原価や人件費など経営に欠かせない必要な数字を意識するようになったのだという。

オープンから約1か月後、ランチが大ブレイク!それから5年間は予約なしで入れない状態だったそうだ。
当初は全く広告宣伝をやっていなかったので、すべて口コミのおかげとの事。そして、その年の忘年会、今度は奥さんからご主人への口コミ(多分そうと思われる)によって、忘年会が一気にブレイクし、お店は軌道に乗ったのだという。

繁盛継続の秘訣は、” ちゃんとする”ということ。要は、手を抜かない、無理はしない、といった基本を大切にしてきたこと。とご主人は語る。

「全ての人に感謝!和の心を持ってお客様やスタッフなど、お店に関わる全ての人を幸せにする。」がお店の経営理念。

今後は、お店で修業して巣立っていった人たち数名の昔の仲間で新たなお店をもう1回一緒にやるのが夢だそうだ。

そして最後に、これからお店を始める方・始めたばかりの方に、
・全てにおいて嘘をつかない、ごまかさない。
・浮き沈みがあるので、いい時に調子に乗らない。
・店のお金と個人のお金をごっちゃにしない。
・買い掛けは極力しないで、現金払い。
という、ご自身の経験をふまえた、実践的なメッセージをいただいた。

ゑん

まるいお好み焼きで”ゑん”(ご縁)をつなぐ

浅川 秀樹・よう子  氏

お好み焼き
創業2001年4月

飲料メーカーにお勤めだったご主人が早期退職して奥さまと二人で始めたお店。お二人とも飲食業はほとんど素人だったそうだ。お好み焼き店を始めた元々の理由は、ご主人が大好きだったからとの事。
開業前は、期待よりも不安の方が大きかったが、なかでも困ったのは、設計士さんと建築業者さん、納期や品質面で問題があり、開店前日まで工事をしていたような状態だったという。

お客様は、オープン直後からけっこう来てくださったが、1カ月ほどでパタッと止まってしまったそうだ。急きょランチメニューを投入し、何とかお客様の定着を狙ったが、最初の3年間は本当に厳しかったとの事。
まずは、親戚や友人に声をかけて、利用してもらってそこから徐々に広げていった。最近ではSNSを活用して情報を発信しているそうだ。
経営が安定してきたのはやはり、地道な声がけを続けて、常連さんが増えてきた事。ランチは今ではリピーターが5割。徐々に夜の常連さんも増え、安定してきたそうだ。

看板メニューは、「ゑん ふわふわ焼き」まるでケーキのような、やわらかな生地の食感が評判だ。最近ではもんじゃも人気が出てきたとの事。

ここまで続けてこられたのは、常にお客様を大切に思い、また、常に声をかけてきたことが良かったのでは、との事。座右の銘は「一生懸命」(ありがとうの心をもって)だそうだ。これからも今のスタイルで、続けられるだけ続けたいとお二人は語る。

真心を込めて取り組む事と、お客様の目線で考える事。そして、謙虚な姿勢を忘れないでほしい、と後輩にエールを贈る。

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