愛知の先輩経営者からのメッセージ
名古屋名物 味噌おでんとワインの意外なマリアージュ
橋本 雄生 氏
洋食創業2010年7月
学校卒業後、レストランで料理人としてスタート。その時、お客様を満足させるには、料理だけでも接客だけでもダメだと実感し、どうしたら自分らしくお客様を満足させることができるのか・・という思いを胸に、約3カ月、ヨーロッパなどのワインの産地を巡る旅に出かけました。帰国後、ソムリエ資格を取得し、ワインバー店長~フレンチレストランマネージャーを経て、自らへの挑戦のため2010年「カモシヤ」を開業。コンセプトは「醸す=カモシヤ」(味噌とワインのマリアージュ)です。お客様は女性が7割。地域の個人店仲間と結成した「新名古屋メシ創り隊」の活動をふまえ、”新しい名古屋名物”の開発・提供も行っています。開業時は物件に苦労し、今のお店に出会うまでに1年位かかりました。でも物件で妥協してしまうと後々大変なので、時間をかけました。ソムリエが味噌おでんの店をやる、ということで、注目され、オープン3日後に取材が入り、おかげさまで、一切広告をやってないのに、どんどんお客さんが来てくれました。しかし、1ヶ月ほどのオープン景気の後は売り上げがダウン。忙しさにかまけて、日々魅力アップできていなかったのが原因と考
え、接客を磨いたり、メニュー提案を積極的に行いました。結果、売り上げは再び上昇し、今に至っています。看板メニューは、味噌おでん&名古屋ハヤシ。ワインとの相性も抜群です。また、新規客獲得は社長の仕事、再来店促進はスタッフの仕事。と明確に役割分担をしたことで、スタッフがお客様に集中できたと思います。継続のコツは「提案型のお店」であること。隠れたニーズ、本人も気づいてないニーズをどれだけ提案できるかだと思います。また、開業にあたっては、何かアドバンテージを持っている事が重要。顔が広いとか、料理の腕が凄いとか、ソムリエ等の資格を持っているとか、あるいは資金が潤沢とか。とびぬけてなくても、人より少し抜け出ていればいいと思います。
愛されて半世紀。老舗の味を守りながら新たなスタイルを模索し続けます。
鈴木 大介 氏
居酒屋1962年開業
昭和37年、祖父が今の場所(名古屋一のオフィス街「伏見」)に洋食店を開業。その後、料理人であった父が二代目を継承。私自身は長男で、もう継ぐことが決まっていた状況でした。大学も、今のお店に足りないものは何かという基準で、マーケティングや経営学・会計学等を学びました。卒業後はコンピュータの会社に入り、SEとして3年勤務。その後のお店のシステムのコンピュータ化に役立ちました。また、入社式・転勤・歓送迎会・ボーナス・忘年会など、オフィス街に立地する店のターゲットの1年を実体験できたのも大きな財産。
その後1995年に、お店に戻り、店長として現場のマネージメントを経験した後、2003年に社長に就任。お店の一番のピンチはBSE問題が起こった時。当時はビーフステーキがメインだったので、お客さんが全く来ない日々でした。そんな中、通ってくれた常連さんには今でも感謝しています。その後、牛の比率を下げ、豚メニュー(トンテキ)の人気などもあって、徐々にシフトしてきました。
今の看板メニューは①とんテキ②味噌カツ③エビフライ
繁盛継続の秘訣はまず何をおいても立地、それと必ず名物料理を作る(できれば2つ)。そして常連さんを作ること。当社の経営理念は「食を通じて社会に貢献」です。
これから始められる方は、早い時期にパートナー・右腕を作る(家族、奥さんではなく)事をお勧めします。また年間計画や3年5年の中期計画も大事ですが、地域に根ざしたお店は、10年20年先を考えてほしい。永遠に継続させる前提で考えてほしいと思います。
「名古屋で一番、サラリーマンを元気にするお店を目指してます! 」
塚原 美奈子 氏
居酒屋、海鮮、もつ鍋平成8年創業
元々は、私が子供時代に、母が自宅を改装してお好み焼き店を始めたのがきっかけでした。その後、うどん店や居酒屋など、徐々にお店を増やし、20年前に本格的な外食事業を意図して、新たな総合居酒屋「えび寿(えびす)」をオープン。その立ち上げに私も関わり、10年前に会社を引き継ぐ形になりました。
「サラリーマンを元気にする」がコンセプト。流行に左右されない、奇をてらわない。オーソドックスな路線にこだわっています。お客様の9割は30-50代の男性サラリーマン。看板メニューは、「鮮魚」と「もつ鍋」です。
継いだ当初はスタッフ(母の時代からのベテランの職人さん)との関係に苦労しました。最初はコミュニケーションがうまく取れない状態でしたが、現場で一緒に働く時間を意識的に割くことで、関係づくりをしていきました。立場は違っても店をよくしたい気持ちは同じ。お互いの苦労が分かってくることで、コミュニケーションが取れるようになりました。
スタッフに恵まれた事がここまでやってこれた秘訣だと思います。スタッフの多くは、お店の立ち上げから働いてくれている人。権限をどんどんスタッフに委譲して、頑張ってもらうようにしたことも、やりがいにつながったのだと思います。
「お店は消耗品じゃない」をモットーに、愛されるお店づくりに心掛けています。変わらないことがウチの強み。お店(会社)の財産は人だと思います。
【お店はスタッフのためにあり、スタッフはお客さんのためにある】
これから始める方には、「お店の売りを明確にする」「初期投資はできるだけ抑える」の二点を心掛けて欲しいと思います。ウチはそこで苦労しました。
「やさしいは美味しい!」
松井 敬道 氏
居酒屋創業2003年7月
学生時代の焼鳥屋さんでのアルバイトが、飲食業の楽しさを知ったきっかけです。20歳を過ぎた頃、将来の事を真剣に考え、自分ががんばれそうなもの楽しいものは飲食業だという事に改めて気づき「30歳で居酒屋の大将になる。」と目標を決め、その後あるご縁で食品メーカーに入社。営業で経験を積み、20代半ばで営業成績トップに。27歳で、名古屋営業所の責任者に抜擢されました。会社でも順調でしたが、一度きりの人生なのでチャレンジをしようと、28歳で会社を退職して、お店での修業に入りました。その後、一緒にやりたいという仲間や後輩にも後押しされ、2003年(32歳の時)1号店をオープンさせました。
豆家グループとして、今は10店舗8業態を展開していますが、グループとしてのコンセプトは「やさしいが美味しい!」です。そのコンセプトを実現するための経営理念として、
・ありがとうでいっぱいにする
・スタッフ一人一日一人のファンを作る
・自分に関わる全ての「人」や「物」に感謝する
という3つがあります。
繁盛継続の秘訣は「人」。一緒に働く仲間です。経営者は何か問題がおきたらすべて自分のせいと思って考えるべきです。また小さなトラブルは大歓迎。それを一つづつつぶしていくことが力になります。
今後は、飲食「店」から飲食「業」への転換を目指しています。店舗を増やすのがすべてではない。「食」を通じて周りの人を豊かにしていくことが目標。
【これから始められる方に一言】創業時はプライドの塊です。それはそれでいいですが「自分の枠」を意識することが大事。少しでもそういう目線を持てる人はみな、成功しています。
「6000人以上の記念日をお祝いしてきた、誕生日・お祝い専門レストラン」
冨田 雅紀 氏
レストラン創業1991年8月
きっかけは大学時代のアルバイト。色々な店でバイトしていましたが、レストランをやりたいと思ったのは、一番長く(楽しく)勤めていたのがレストランだったからです。調理はほぼ未経験でしたが、熱意が通じたのか、紹介である有名レストランに入ることができました。その後、ホテルなどでの修業を経て、今の店(デラセラ)でシェフとして働くことに。その後オーナーからこのお店をやらないかといわれ、買い取る形で始めました。当時はレストランバー業態で、売り上げの8割はお酒でした。オーナーになったとはいえ、業績は順調だったので、何も変えずにそれまで通りの形で営業していました。しかし、2002年の道交法改正で、一気に売り上げが下がり、なんとか打開するために行った、激安メニューの投入や、割引クーポンの乱発でさらに業績が悪化。いよいよ行き詰った時、徐々に手ごたえを感じていた、コース料理中心のレストラン業態にすることを決意。中でも人気だった誕生日コースなど、記念日をお祝いするお店というコンセプトで再出発。今ではおかげさまで「記念日専門レストラン」として多くのお客様にご利用いただいています。
看板メニューは:40日熟成自家製ハム、イベリコ豚のアヒージョ、コースでは「ワンランク上のお箸で食べる記念日コース」が一番人気です。継続できた秘訣は、家族、常連さんの支え・応援が第一。迷っている時に色々アドバイスをもらった、先輩経営者やコンサルタントの存在もありがたかったです。