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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

愛知の先輩経営者からのメッセージ

ウェストイーストカンパニー

「名古屋で唯一の肝料理専門店」

近藤 正典 氏

居酒屋、海鮮
2014年9月設立

大学卒業後飲食店に勤務。昨年(2014年)任されていたお店「肝屋 嘉正亭 みその」を前オーナーから買い取る形で開業。お店を立ち上げた当時は、お客様が少ない状況でした。業態そのものは今とあまり変わりませんが、ちょっと構えた感じの店で、スタッフが和服だったり、店構えも割烹料理屋風でした。そこで、料理、スタッフの服装、店構えなどを徐々にカジュアルなもの、親しみやすいものに変更したころ、ちょうどテレビの取材が入り、12月放映という事もあって、一気にお客様が増えたのです。看板メニューは「肝刺4種盛り」ほとんどのお客様が注文してくださいます。ターゲットは、30代後半の役職に就いたビジネスマン。ほぼ狙った方が来てくださっています。お客様の男女比は7対3。この1-2年は順調に推移しています。秘訣はスタッフのモチベーションの高さ。以前は感情に任せて怒っていましたが、ある時から厳しい指導をやめ、一切叱らない事にしました。さらに、形式的だった朝礼もミーティング形式にして、毎日30分実施。単なる連絡だけでなく、意見交換も密にやっています。その結果、スタッフの定着率も非常によくなり、今では安心してお店を任せられます。お店の経営理念は「スタッフ一人一人が、自分たちを取り巻くすべての人に対し感謝の気持ちをもって行動し、共に成長する事。」さらに、日々の行動の、7か条の約束も作りました。今後は海外進出も視野に入れた展開を考えています。今はできるだけ借入せずにやるべき時代と思います。当社では社内独立制度の推進を考えています。社内独立制度とは、勤めている飲食店で繁盛店を作り上げ、そのお店を譲り受けるというもの。私自身もそれでスムーズにスタートできたのです。

有限会社 大富

「伝統的技法を守り、変わらぬ” 味”と”想い”をお届けします!」

八代 富政 氏

うどん
1987年8月創業

元々は、柔道をやりたくて、郡上から名古屋に出てきました。大学時代は、喫茶店でアルバイトしながら、柔道に打ち込み、いずれは指導者を目指していました。しかし、諸事情から柔道の道を断念。大学卒業後、アルバイト時代、楽しかった経験から、喫茶店をやりたいと思いました。しかし、ある方から、「何をやるにもまず本物を知ることが大事。」といわれ、まずは、本物といわれているお店の味を体験する事にしました。そして、ある味噌煮込みうどん店のおいしさに感動。さっそくお願いして弟子入りさせてもらいました。そのお店が、名古屋市昭和区の味噌煮込みうどんの老舗「まことや」です。10年の修業の後、のれん分けで、名古屋市天白区にお店を出しました。開業当初は本当にお客さんが少なく、苦労しました。本店のある昭和区と比べてかなりの悪立地。周りに民家も少なく畑ばかりでした。そんなある時、遠方に嫁いだ娘さんに名古屋の味を食べさせたいというお客様の要望に応える形で、味噌スープや麺や食材を詰め合わせにして、自宅で調理できる味噌煮込みうどんセットを作ったところ、すごく喜ばれました。それがきっかけで、今やスーパーでの販売や通販も順調に推移しています。看板メニューは当然、味噌煮込みうどん。中でもえび入り親子味噌煮込み(いわば全部のせ)が一番人気です。店を出して30年。継続の秘訣の一番は、食材に妥協しない事だと思います。(味噌も出汁も野菜も水も麺も塩も)→それがお客さんを裏切らない事につながっています。モットーは「決してあきらめない。継続は力。」朝一番に店に入ってスタッフを迎えることは30年続けています。

株式会社イチロイモ

「名古屋発!文化系飲食店」

岩須 直紀 氏

居酒屋
2011年9月設立

学生時代から、音楽番組などのライター作家として活動。卒業後も10年はメディア関係の仕事をしていました。その後、自分のメディア(発信の場)を持ちたいと思い始めました。そんな時に、出張先の東京でトーク専門のライブハウスの存在を知り、非常に興味を持ちました。しかし、飲食メインでトークや音楽イベントがくっついてくる形じゃないと名古屋の市場規模では成立しないと判断し、音楽関係の仕事を続けながら、まずは飲食の修業をしました。ただ、やっていくうちにどんどん飲食業が面白くなり、飲食とエンターテインメントの上手な交わり方が大事と考え始めました。そして、2009年7月に1号店「ボクモ」をオープン。飲食への興味はますます深まり、その延長で、ソムリエ資格も取りました。開業当時は経験不足で何かと大変で、体力的にきつかったですが、スタッフや友人がいろいろ手を差し伸べてくれて、なんとか軌道に乗ることができました。そして2011年には、2号店「ロックモ」をオープン。しかし、どちらのお店も、悪立地なので、集客は永遠の課題です。看板メニューは「ファーマーズサラダ」生野菜と温野菜のコラボ。土にこだわって取り組んでいる、地元農家さんの野菜を使っています。お店がこれまでやってこれた秘訣は、(スタッフとの)人間関係を良好に保ってきた事だと思います。お店の人間関係はお店の雰囲気に影響し、居心地につながります。また、お店はミルフィーユのようだと考えています。魅力の層の積み重ね。どこが好きかはお客さんによって違う。魅力の層は多いほどいい。もちろんケーキ(お店)としてのまとまりは必要ですが。当社のモットーは1素直、2勉強熱心、3プラス思考 
もうだめだと思ったら、そこからがスタートです。あきらめず、前に進んでほしいと思います。

有限会社 晴快荘

「名古屋の日間賀島へようこそ!」

鈴木 晴貴 氏

居酒屋、海鮮
1967年設立

1967年、日間賀島出身の先代(父親)が「日間賀の料理を名古屋で味わえる店」としてお店をオープン。18年前にお店を任された後、比較的順調に推移してきたのですが、2008年のリーマンショックの時は、かなり売り上げがダウンして大変でした。しかし、この頃開発した新メニュー「もずくたこしゃぶ」が人気になり、マスコミの目にもとまり、いくつか取材が入って、お店に活気が戻ってきました。その後は、個人づかいのお客様も取り込もうという事で、それまで定型的だった接客も改善し、お客様とのコミュニケーション力アップに努めました。さらに、両親(創業者夫婦)は日間賀島出身。というお店の個性を生かし、”名古屋の日間賀島”というコンセプトを前面に打ち出すようにしました。同時に、日間賀島での花火大会鑑賞イベントや、お店主催の釣り企画など、お客様とスタッフが触れ合えるイベントを開催するようになりました。お店の個性をはっきり打ち出したことで、取材も続きました。常に新メニューにトライし、お客様との距離を縮める努力を続けたことが、長年お店を継続できているカギだと思います。今では大人気の「もずくたこしゃぶ」も数多くのチャレンジの結果生まれてきたものです。晴快荘のミッションは「仕事を楽しみ、食を通じて幸せを提供する」こと。これをスタッフ全員が実感できた時、お店はさらに強くなると思います。昨年11月に2号店を出し、今は順調に推移しています。さらなる展開を計画中ですが、それには任せられる人を育てることがまず必要と考えています。私の経験から言えることは「お金を追いかけるとうまくいかない。お客様の満足を目指すとお金はついてくる」具体的には、儲けどころを明確にすること。すべてのメニューで儲けようとせず、ファンサービスと、しっかり儲ける部分のメリハリをつけるという事です。

株式会社55Style

「ご縁を大切に!人の可能性を信じて!」

澤 竜一郎 氏

ラーメン
設立2009年9月設立

学生時代はラーメンオタク。就職してからもラーメン食べ歩きを続けていました。入社間もなく岡山に配属になり、親ともあまり連絡を取り合っていなかったのですが、久々に実家に帰ったら、何と実家がラーメン屋になっていました。(父が開業)。驚きでしたが、その姿を見て「趣味だったラーメンを仕事にできるんだ。」と思いました。その後、就職5年目に退職して、名古屋に戻ってラーメン修業2年。そして、今から12年前、32歳の時に一号店「一刻屋」をオープン。ラーメンオタクとしての自分の目線から、新しい切り口のスープが必要と感じ、野菜をスープの主役に持っていこうと考え、試行錯誤の末に「玉ねぎ熟成スープ」を完成。おりしもラーメンブーム。目新しさもあり、マスコミもすぐに取材してくれた。ラーメンファンにも注目され、お店はロケットスタート。おかげさまで、一号店はオープン以来、昨対を割った事がありません。多店舗化のきっかけは、ある人との出会いからです。それまで、お店の秘伝の味は門外不出と考えていたのですが「分かち合えば分かち合うほど成功スパイラルにはいっていく」というアドバイスをもらった事で自分が変わりました。翌日から従業員に全部公開することを実践。スタッフのモチベーションはみるみる上がりました。お店を任せても売り上げ落ちなかった。それで安心して二号店「中華そばあおい」に取り組めた。さらに、東京で「つけ麺」に出会う。当時名古屋になかったので、自分なりの工夫改良を加えて、大須につけ麺専門店「フジヤマ55」をオープン。その後、名古屋市内にもう1軒つけ麺の店を出店し、全部で直営4軒に。その後、とある外食企業の経営者からラーメン店を出したいので手伝ってほしいという依頼があり、これもご縁と思って出店をお手伝い。職人でなくてもできるメニューや、運営システムの開発に取り組んだ。その後は、様々な方からのラーメン出店依頼が増え、海外からの要望もあって、今は世界に「フジヤマ55」が広がっていってます。

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