愛の飲食コンサルタント 宇井義行公式サイトThe passionate food consultants.

宇井義行公式サイトYOSHIYUKI UI OFFICIAL SITE
MENU

飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道の先輩経営者からのメッセージ

黒花火

情熱を形にしたい!

鈴木 章夫 氏

居酒屋、もつ鍋
平成20年11月開業

アパレル業界から飲食業界へ転身と同時に独立開業をする。今や姉妹店舗含め4店舗全てが人気店となる根底には「食材」と「人」に対しての情熱であり、それをいかに伝え形にするか!の追求が最も大切だという。何もかもが順風満帆ではなかった。初めて開業したお店が5年目にしてビルそのものが消防法適用除外だったと発覚し、36席あったお店が6席となり2週間後には閉めなくてはならない事態に直面した。すでに出店していた他の2店舗へ社員を異動するが、その分の売上を確保するため、それぞれの店舗のスタッフ全員で約300件の挨拶廻りを行ったそうだ。当時を振り返ると思い出すのは「やれることは幾つかしかないが、徹底してやると結果が出た」ことだそうだ。現在はレイアウトを変更し1年半をかけ再開させた。常日頃伝えていることは「いかに情熱を形にする」ことだそうだ。食材であれば「生産者の情熱」をどう調理できるか?開業から今に至るまで「教えてもらうことが山ほどあった」「人との縁があったからこそ」と「すべての人」との縁を大切にして、出会いのその先に「情熱」がある。「お客様」「生産者」「一緒に働く仲間」すべての縁から、これからも情熱を伝え、形にする。

HIPPIES SAPPORO(ヒッピーズサッポロ)

プラスαの空間をつくる

石田 康司 氏

カフェ
平成24年1月開業

HIPPIES SAPPOROは「CAFEプラスα」の空間である。ススキノエリアから少し外れた、鴨々川沿いの閑静な場所に「ペット可」「イベント可」という多目的な利用ができるスペースとして4年目を迎える。高齢者から子供連れの家族まで訪れる人気カフェだが、社会人経験はアパレル業界から始まる。20歳から4年間、東京にてアパレル業界でデザイナーとして勤めた後、ロンドンで1年過ごした。その時「自分の未来を考える時間」に費やしアパレル業か飲食業で悩み、より具体的なイメージを持てた「飲食業界」を選んだという。ただのカフェではなく 「プラスα」の要素を付加価値として、イベントやペットと一緒に楽しめる空間を作り、徐々にお客様に認知されていった。そして最も大切にしている「プラスα」は「人=会いたくなるような魅力あるスタッフ」だという。お客様との距離が近い業態だけに、接客そのものが「お店の雰囲気」だと言い切る。今後は物販も取り入れた「複合的な空間」の提供を視野に入れた展開を行う。

松盛庵

恩返ししかない

取締役会長 松井 敦利 氏  氏

平成元年5月開業

松井氏の経歴は異色を極める。高校卒業後、千葉県で警察官として4年勤めるが、将来的に家族を見守れる環境を見据えて退職し札幌に戻る。「寿司屋」を営む叔父から「そば屋」を進められた頃、新聞広告に某名店の募集広告を見つけ就職し、そば屋としての修業が始まる。1人前になるまで10年必要といわれたが修業当初から「必ず3年で習得する」と誓っていたという。お店の許可をもらい、夜6時まで働いた後、他店舗にて無給で修業をする。その後ススキノに行き、店主やお客様から今どんな「そば」が求められているか?を、お酒を呑まず聞いて廻る毎日だったという。当初の誓い通り3年で修業を終え、地元屯田で開業する。開業時の苦労を聞くと意外な答えがかえってきた。「今振り返っても26歳の若造が、借地の上にお店を建てるなんてバカなことに融資してくれた国金に、夢をもたせてくれた方達に感謝しかない」「自分のそばに自信があるだけの人は、自分のそばの押売りになってしまう」「お客様や地域がどう思うか?が全てで、だから来てくれてありがとう、いらっしゃいませ、と言葉になる」「もう恩返ししかない」と語る。そば屋としての恩返しは、全国を飛び廻り厳選する食材選び、さらに自ら耕作して収穫もする、そうして手に入れた食材に出来る限りを尽くす。仕込みに一ヶ月以上かける「かえし」はまさに「行動力」「探究心」と「信念」があってこそだと感じた。今後も「恩返し」は飲食を通じたものだけでなく、地域の防犯や活性化など多岐に渡る。

いざか屋 水槽族

辛い時も“平常心”

松本 幸助 氏

居酒屋、海鮮
平成22年開業

2年半店長を務めた店をオーナーからそのまま引き継ぐ形で開業に至る。前オーナーの常連客も多く、引き継いでから1年間近くは精神面で辛い想いをした事もあったそうだが、売上の波が激しい飲食業界で、その度に“平常心”を心掛けてお客様と接し、着々と客数を増加させていった。看板メニューはカウンターに置かれた水槽内の貝類を中心とした新鮮な海産物で、その場でさばいて提供されるのが受け入れられた。継続の理由は何よりも根気よく続け、凹んだ時もポジティブに平常心でやる事である。平常心を保つ為に心がけていることは売上が悪い事を社会情勢や景気のせいにせず、受け止める事だそうだ。落ち着いた感じで話される松本社長の今後の展開は“維持”だそうだ。自分のコンセプトを信じてやり続けている事と平常心を保ち誰かのせいにしないで毎日営業しているからこそ常連客もでき、継続できている。

Cantina suzuki(カンティーナスズキ)

お客様を裏切らない

鈴木 光利 氏

イタリアンレストラン
1980年開業 

創業35年のファンが多い老舗イタリアン。飲食店を開きたいという想いから脱サラし開業に至った。スタート時はテナントの規制があり2年間は紅茶とクレープ専門店として営業する。当時はクレープ自体が珍しく、集客はできていたが、軽食では無く飲食をやりたい想いが強かったことと、その後テナント状況が変わったことによりイタリアンに業態変更を行う。素材にこだわり、道内産の材料や有機野菜を使用している。今までに20回ほどイタリアを訪れ仕入れや勉強には決して手を抜かない。繁盛の理由は“お客様を裏切らない事”で、予約制では無いが約9割のお客様が予約で来店でその信用度が伺える。今後は、仕込みに時間と体力が消費されているので体力作りを行い、継続して営業できる状態を保ち、そこでしか食べられない物を提供し続けたいと熱意を語りつつ、わざわざ来て頂ける店作りをしてきた結果の35年を振り返る。

31 / 60« 先頭...1020...303132...405060...最後 »

飲食店先輩経営者からのメッセージトップへ戻る

ページ最上部へ