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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道の先輩経営者からのメッセージ

中国菜楼東巴

「周りに助けられてここまで続けてこられました!」

永井 功二 氏

中華
2003年 開業

 高校卒業後、札幌市内のホテルで修行に入った。平成15年、ホテル勤務時代に立ち上げを任された店の経営を引き継がないか?と誘われ、数字を把握していた事もあり、開業を決意した。住宅街の立地なので、地域の皆様に末永く愛される事を目指して、基本に忠実で、目先に捉われず、地域密着型のお店作りを目指した。ごま油以外の調味料は、ほぼ手づくりで行っていて、中でも、自家製ラー油は、数十種類の香辛料をブレンドし、長時間かけて仕上げる逸品で、どんなメニューにもピッタリだという、一つ一つ料理は、長年の修行の賜物だ。10年以上継続できている秘訣は?の問いに、「長く続けてこられたのは、地域のお客様、業者さん、大家さんなどの多くの人に助けられてきたからです。」と感謝し、開店以来一度も業者さんを換えていないそうだ。常に味を進化させ、約70%を超えるリピート率で、根強いファンに支えられている。今後は、少子高齢化、個食化の時代を見据えた、益々の地域密着型の店作りを続けていく。

株式会社タフスコーポレーション

「“贅肉”をつけない“筋肉質”の経営」

田村 準也 氏

ダイニングバー
2000年 開店

 高校卒業後、ススキノのバーで働いた経験を基に、20歳の時、個人事業でバーを開業、24歳頃までには3店舗を運営していた。その後、いずれ共に働くスタッフも、年齢と共に家族を築く事を想定して、家族一緒に来てもらえるお店を創りたいとの考えから、ススキノで飲食店を展開していた会社に料理修行に入り、約1年後、平成12年に初の居酒屋業態をOPENした。半年間、本当に苦しい時が続き、もう止めようか?と考えていた時、ご縁から、ある小学校の給食で使っていた銀色の食器が不要になったとの事で、譲り受けた事をきっかけに、自分達が給食で食べていた、揚げパンやラーメンなどの献立メニューを取り入れた所、TVメディアの取材が入った事により、客足が飛躍的に伸びた。それを期に、再来店へのより魅力的な提案を次々に打ち出し、軌道に乗せる。奇跡的な出来事に、「何が起きるかわからない!だからこそ足元の宝を大切にしよう」と考えるようになった。その後、年1店舗を出店する計画をたて、その為には、キャシュベースの考えを中心に、しっかりとした財務管理を行う体制をつくり、“スタッフ目線・顧客目線”を常に考え、また、“贅肉”をつけない“筋肉質”の経営を大事に、切り口の違う業態を、現在6店舗運営するまでに至った。ミッションは、「多くのお客様に有意義で価値ある時間を提供する」事と、「電気・ガス・水道・居酒屋!」として、自店の存在自体の簡易性・公共性を追求し続ける。

株式会社NEXT LEVEL

「人生の中にある感動を支えたい。」

奥芝 洋介 氏

スープカレー
2004年 開店

 地元で有数の事業家の元に生まれ、幼い頃から、経営を教え込まれてきた。19歳の時に、父の体調不良から、廃業に至り、一旗揚げるまでは、地元には帰れないと考え、起業するも、“ロマンとそろばんのバランス”を欠き、失敗の連続だった。最後の勝負に出る!と決意して、臨んだのが、“スープカレー”店だ。「奥芝商店」という店名は、運命的偶然もあり、祖父が営んでいたお店から頂いた。開店当初は、お客様が数人の日もあり、店を閉めた後に、複数のアルバイトをこなしながら、スタッフの給料を稼ぎ、終わり次第、店に戻り、12時間煮込んで作る出汁を、寝ないで仕込む毎日だった。そんなある日、とあるお客様が、“ブーツを脱がずに入れるお店だったらいいのに”という一言を聞き、翌日には、テーブル席を設けた。そのお客様が2日続けて、来店してくださり、自分の意見にすぐに対応してくれた事に感激・・・その方は、メディア関係の人で、取材が入り、一躍話題店となる。不慮の火事にも負けず、今や押しも押されもせぬ大繁盛店で、道内外9店舗を展開している。「1日3ZEN」を掲げ、“奉仕の善の心と、禅の精神を持って、究極の一膳の提供”に挑戦している。今後は、世界から「エビ料理と言えば奥芝商店」といわれる存在になるべく精進し、地域社会への貢献と共に、運営・展開を行う。

フォセットフィーユ

「スタッフ1人1人に独り立ち出来る力を持たせてあげたい。」

山下正純 氏

ケーキ
2005年 開店

 父親が、士別市で菓子店を営んでいた事もあり、高校卒業と同時に、大手菓子メーカーで修行に入った。平成元年に、札幌の現在地にお店を移転、移住し、2000年に代表権を譲り受け、その後「手作り菓子フォセットフィーユ」としてリニューアルOPENさせた。それまでの和菓子イメージから、若い世代のご家族にも支持されるような温かみのある店作りへ、思い切ったリニューアルをする事で、経営者としての思考にも変化が生じ、新しい菓子作りへの挑戦や、スタッフとのコミュニケーションの取り方、財務など、あらゆる面で好転するきっかけとなった。それ以降は、スタッフのアイデアを積極的に取り入れた商品作りを行う事によって、スタッフ自身が“自分のお店”という意識を持ち、自発性、主体性、経営意識、モチベーション等が格段に上がったのと同時に、自分自身の経営判断も、研ぎ澄まされていったそうだ。経営で大事にしている事は、スタッフ1人1人が真剣な取組みの中にも、楽しさを追求しつつ、技術を高め、独り立ち出来る力を持たせてあげる事だそうだ。今後は、素晴らしいスタッフと共に、新店舗も視野に入れた展開を模索していく。

ダニーズレストラン

「素材が無いならば自分で作るしかない!(フランス人シェフの挑戦)」

シェフ ダニー 氏

レストラン
2013年 開店

 地元フランスで、調理専門学校講師を務める傍ら、レストランも経営。2006年のコンクールでは、ガレット部門で1位、クレープ部門2位を獲得する実力者だ。2009年、東京目白の「ル・モンサン・ミッシェル」の立ち上げのために来日し、ミシュランガイドに掲載される超人気店にまで育て上げた。自分の理想とするガレットを作る為に必要なそば粉が、日本には存在しておらず、“無いならば自分で作るしかない!”と決意。望み通りの品種、挽き方、ブレンドに辿り着くまでに半年以上の歳月を費やした。北海道の食材は、モンサンミッシェルの時から使用していたが、“より美味しいモノをお客様に提供したい”との思いから、良質なそばと、食材を探すために、北海道に来た時、様々な魅力に気づき、東京から移住。北海道で2ケ月の期限付きイベントでは、約1700人もの人が全道各地から来店してくださり、開店待望論が大きくなり、平成25年、予定より1年近く前倒しで、お店をOPENした。科学調味料は一切使わず、厳選された素材だけで作るこだわり製法で、多くのファンの期待に応えている。毎日、毎日お客様の要望に対して、シビアなチェックを怠らず、改善に継ぐ改善を日々行っている。今後は、今よりも小さなお店で、夫婦2人での運営も視野に入れつつ、北海道で人材を育成できる学校の設立も目指していく。

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