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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

北海道の先輩経営者からのメッセージ

朱蔵

感覚ではなく、仕組み作り

藤田 紘司 氏

居酒屋
平成25年7月

現在は居酒屋だが平成25年にすすきのでオープンした時は「やきとん 朱蔵」。大学を卒業後、営業を4年経験し、自営で営業代理店の会社を興す。営業先を自分で発掘することは攻めの営業。自分は攻めではなく、待ちの営業をしたいと飲食店の世界へ飛び込んだ。

「やきとん」の東京某有名店にアルバイト、そしてそこから独立する人に「給料要らないからレシピを教えて欲しい」と修行に入る。するとそこへ、すすきので飲食店を開業していた知人から、その店の跡を使わないか、と話が飛び込んできた。 居抜きで串用の焼台と冷蔵庫を入れ替えたのみ、飲食未経験から修行4ヶ月でお店をオープンさせた。それでも細かい経費はかかったようだ。賃借契約終了時、継続するより広い場所に移ることを考えた。 条件は「路面店」「席数」「深夜営業なし」「家賃」など色々と考えた末、現在の北24条に決めた。今となっては、すすきので来て頂いていたお客様を手放し、一からお客様を呼び込むということになり後悔もあるという。 「やきとん」は認知度も高くはなく、一般的に受け入れられる居酒屋に業態変更したがメニューには、やきとんの名残が多く残っている。名前も「朱蔵」のみとした。

現在のウリは『安さと酒の品揃え』。需要の裾野を広げることが目的だ。ビールなどの単品料金が安いのはモチロン、飲み放題もビックリの価格。料理で利益確保をしているようだ。 すすきの時代と比べ席数は多くなったが、スタッフも数名増え、水道光熱費や広告宣伝費もかかり、利益は多くないと語る。 感覚でやらない、全部自分で理屈で考えないとダメ。余計な経費は要らない、そして危機管理能力を持ち営業中の予約状況の確認、過去のデータ分析で割引の告知など売上に繋がる工夫をしているという。 一番大切にしているのはスタッフ、一緒に働く仲間だからだという。そして営業時間を変えることなく、お客様がいなくても店を早仕舞いすることはない。

バール サポリート

無理をして、頑張らない

白川 文 氏

バール
平成24年7月

 イタリアに1年、スペインに1年、毎日を楽しく過ごしながら、色々なところに食べ歩きもした。料理はイタリアで住んでいた大家の奥様に、そしてスペインでは友人のお母様などに習ったという。 日本に帰って仕事をしながらも時折イタリアやスペインには遊びに行っていた。お店を開業する約1年前、自分は会社勤めに向かない、と退社。飲食店で修業したわけでもなく、プロでもない、自分に出来るのは、イタリアやスペインで教わった料理を出せる飲み屋さんだと「バール」に決めた。

一番大変だったのは物件探し。すすきの付近だと物件はあるがビルの中に入ることを敬遠し、現在の場所付近で探したため、物件自体がほぼ無かったそうだ。その頃、丁度、狸小路7丁目ブーム。現在のTanuki Squareの建築が決まり、物件探しを依頼していた不動産屋さんから、まだ図面しか無い頃に声が掛かり、3番目に場所を選ぶことが出来た。2階にありながらも狸小路に面し、1席だが外にも席を置ける、外から見える場所を選ぶことが出来てラッキーだったという。狸小路7丁目ブームにも乗り好立地も重なり、お客様が来店、今ではリピーターに繋がっている。

自分が好きなもの、美味しいと思うものをお客様へお出ししている。さらに、お客様が飲みたいものに合わせて即興で料理を作ることや「○○食べたい」と来店するお客様にも柔軟に対応している。ワインなども自分でセレクト。酒屋さんへ、その時に欲しい味わいを伝え、ピックアップしてもらったものを仕入れ試飲、自分が気に入ったものをお出ししている。

お客様とベタっとしない、我慢しない、ユルユルっとお店を営業している、と言うが「決まり通りにお店を開ける、臨時休業や時間をずらして、ということはしない。そこはキッチリと守る」、お客様には正直に応対することが信条だと語る。

おでん さんかくまるしかく

すべては計画的に

つるが ふみお 氏

おでん
平成28年4月

 常連になっていた、美味しいと評判のおでん屋さんが高齢のため閉店。美味しいおでんを食べたいと友人や常連仲間を呼び自宅でおでんパーティを不定期に開催していた。3年ほど経った頃、こんな状態ではダメだと60歳を機におでん屋開業を決意する。
奥様には内緒で開業1年前から食器を収集、半年前になると奥様に打ち明け、本格的に開店準備に入った。随所にこだわりが感じられるのはグラフィックデザイナーならでは。現在もデザイン学校でデザイン講師、道新文化センターではフェルト教室の講師という多面性を持ち合わせている。

お店の物件は、数軒候補があり家賃が安く、地下鉄すすきの駅からのアクセスが抜群、そして居抜きではなくスケルトンだったことが決めてだったという。
居抜きであれば、自分の希望に合わせ改装しなければならない、スケルトンのほうが自分のこだわりに合わせて好きに造れるという理由。自分で店内のデザイン画を、そしてお店「おでん さんかくまるしかく」のロゴは、マンガ「おそ松くん」に登場する“チビ太”が持つおでんから、こちらも自分でデザインした。
カウンター1本のお店。お客様から汚いところが見えてしまうと、カウンターはL字ではなく1本板にしたという。
計画的に開業を目指していたので着々と進んでいたが唯一大変だったのは、工事会社。知人の紹介だったが工事が順調に進まず、完成2/3ほどでやむなく工事会社を変更することになった。

一保堂の抹茶を抹茶椀でたてて作る抹茶焼酎やサーロインからとったすじ肉、自分で考案したうどん巾着など、こだわりは随所に及ぶ。
お客様と楽しく、自分が楽しく、そして自分も飲める隠れ家的な店が良いなぁ、と開業したが、商売になると楽しくないことも多い。飲食店を経験したことがないので、お客様を待つことが精神的に辛かったようだ。
それでも毎日、おでんの出汁を作り続ける。

オステリア バーヴァ/バール ブリオ/貝×シャブリ jiji

スタッフには自立できる、自分で考えて行動する、そんなひとに

野々宮 朋幸 氏

イタリアン他
平成29年7月

 平成29年7月にオープンした「貝×シャブリ jiji(ジージ)」を筆頭に「雲丹を中心とした地中海料理 オステリア バーヴァ」そして一番初めに開業した「肉とチーズのイタリアン バール ブリオ」の3店舗を持つ。
飲食業に携わったのは、建築学校へ通っている頃アルバイトしていたのが始まり。卒業後は、建築会社に勤務し、傍ら図面書きも勉強。ところが建築の仕事がどこか合わない、先輩からも同じようなことを言われ、学生時代にアルバイトしていた会社へ転職する。
25歳の頃「いつか自分の店を持ちたい」と思うようなると「自分が経営者だったら」と、それまでと視点が変わり、お店でのシミュレーションや仕組みの理解が深まっていった。
その会社では次々と飲食店を開業、9店舗の開業責任者を務め、色々なことを吸収できたと語る。

会社を辞め、1店舗目を開業するまでにアメリカへ渡り、日本を半周、自分の外の世界を観たいと1年ほど充電する。
多店舗展開する理由を「リスクヘッジ」そして「スタッフの待遇」と考え、飲食店の寿命は短い、潰れないことが大事「本物=時間軸」で、30年続く会社は少数と言われている中、お客様の好みは10人10色、どんなものでも、その中に入れば本物だと思っており「続く」がコンセプトだと語る。

1店舗目から2店舗目を出すとき、互いの店がお客様を誘導し合えることも考えたが、同時にライバルになることも想定し、コアなコンセプトを互いに持ち合った。
お店はコンセプトに尽きるという。まず“何”を売るかを決め、内装を考え細部にこだわっていく、そうすることで重要なトータルバランスが出来上がるという。
スタッフの待遇の中には、“長い・きつい”やお休み、給料の面もそうだが、数字もスタッフ全員に開示しており、他にも常に刺激があること、目新しいもの、そしてそこに居ることで飽きないこと、とスタッフを大事に考えていることが伺える。熱い想いは、まだまだ先を見据え「続く」を続ける。 

焼鳥酒房 直どり

応援してくれる人たちがいて、自分が受け入れられたと思った

木全 直敏 氏

焼鳥
平成25年7月

 SEの仕事をして24年間、新たなビッグプロジェクトのため千葉県に単身転勤。1年ほどしたときに家族と一緒に過ごすことを考え、退職を決意する。
「経営者」という夢があり、その中に飲食店があったという。皿洗いからアルバイトに入り下ごしらえをさせてもらえるようになるが、未経験である自分の作業が遅いことは明白。そして行きついたのが「焼鳥」。下ごしらえしておけば、お客様を前にする仕事は焼くこと。それであれば遅くてもカバーできる、と札幌市内の焼鳥屋さんを食べ歩き、自分が納得したお店の門を叩く。
そこでの修行は、仕込をただ見ているだけ、そして家に帰って真似て焼いてみるということを繰り返し、そのうちにホールの仕事と皿洗い、そしてお客様が残した串を焼かせてもらえるようになった。

平成25年7月、いよいよ「焼鳥酒房 直どり」を開業。7か月ほど赤字が続き、困った挙句に休業日をなくした。それから半年後、やっと黒字化になり週に1度は休みを、次は朝5時まで営業したというが、2か月で止めたようだ。焼鳥という特性上、夜遅くに来られるお客様の単価は低いことに気づき、今は16時から23時までの営業。早くにお店を開けると0次会で来店される方が意外と飲んで食べてくれることが分かったという。

オープンしてから、開業したいという人を6人ほど受け入れ、そのうち2人がお店をオープンさせた。自分が受け入れてもらったことへの感謝、そして自分の足跡、結果を残したかったから、と語る。
同業者はライバルだと思っていたが、こちらが礼を尽くし挨拶をすると後輩のように接してくれ、仕入れ先を教えて頂くことや自店でのイベントの開催提案や他のイベントのお誘いなども頂くようだ。
退職してからお店を開業するまで、そして今も書き続けているブログを見て来店してくれるお客様や飲食店関係のひとまで来店して自分を応援してくれている。仲間やお客様が増え、少しずつ自信がついてきた。
多店舗経営やプロデュースなどが出来る「経営者」を目指すが、今は「維持」が大事だと語る。

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