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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

東京都 中野区の先輩経営者からのメッセージ

有限会社登仁角

先々代から守り続けた味を東京の人に食べてもらいたい!

米川 宏 氏

お好み焼き
2013年9月開業

元々、大阪の堺市で先々代が開いた「登仁角」。先代の頃にお好み焼店に業態転換し、地元で成功を納めた。

父の店を手伝いながら高校生まで堺市で暮らした米川氏は「絶対継ぐものか」と大学から上京。その後20年ほどサラリーマン生活を送った後、父(先代)の介護のため大阪へ。次第に「この人の作り出したものを守って行きたい」と開業を決意するに至った。先代を看取った後、「この味を東京の人に食べてもらいたい」と東京で物件探しをスタートした。しかし、なかなか物件が出ないまま約1年。様々な想いが巡った頃、現在の物件と素敵な心意気の仲介業者に出会った。

開業後は、東京と大阪のお好み焼に対する文化の違いや、利益を残すための売価設定等…考え、苦労することが多かった。それでも先代の頃の「登仁角」を知るお客様が何人か訪れると、「のれんにキズは付けられん」と、より店を守る決意を固めた。

今後は多角化するつもりはなく、この店で三代目登仁角の名を広めて行くつもりだ。

最後に米川氏は語る。「"他人には絶対負けん!"と思う強力な武器がないと、飲食店の開業は厳しい。」商売人の家庭に産まれた米川氏からは、生半可な気持ちや甘い展望で飲食店の開業をすることを危ぶむ気持ちが強く表れていた。

野方餃子

女性でも気軽に入れる新しい餃子屋!

大釜 和也 氏

餃子屋
2013年開業

2013年、野方駅から徒歩5分の場所に誕生した『野方餃子』は、「美味しいコト・美味しそうなコト・心地よいコト」をコンセプトにした女性でも気軽に入れる餃子専門店だ。

オーナーの大釜氏が餃子専門店での開業を考えたのは、餃子が好きで、食べ歩きを良くしていたということ、そして単品商売が出来るという事、拡張性がある事などから決めたという。「今まで飲食経験はなかったが、餃子の商品開発はこだわりました。もともと餃子が好きで良く食べ歩いてましたが、今までに100軒以上の店に行き研究しました。自宅でも友人・知人を家に招き餃子の試作をしながら改善し約1年間かけて今のメニューを作りました。」そう大釜氏は語る。「また餃子店というと男性客向けという店が非常に多かったが、女性にも気軽に入って頂けるようにという違いを出すために、餃子の材料・店舗のデザインやメニュー構成をしっかりと作り込みました。」餃子の美味しさはもちろん、居心地良く楽しんでもらうために椅子の大きさやテーブルのサイズまで、徹底して考えたという。

野方餃子の特徴は、焼き上がった時の「香り」にこだわりがある。餃子の材料は新鮮な素材を厳選し使用し、独自に開発した店特製の油を使用する事により香り高く美味しく焼き上がるのだという。また男性客以外にも女性も気軽に楽しんでもらえるように、ニンニクやニラを一切使用していない事。サイドメニューは自家製ピクルスやレアクリーム杏仁などを取り入れ、ドリンクはワインメニューを充実させていることなどが特徴だ。

こだわりの店づくりを行なった結果、口コミで評判となり多くのお客様に来店頂けるようになったという。「飲食業のやりがいは『リアリティ』。すぐにお客様から反応が返ってくるところです。小さい試合を毎日しているような感覚です。そして毎日が真剣勝負です。」そう大釜氏は語る。今後は若者向けの店舗など、様々なコンセプトで直営店舗の展開を考えているということだ。

株式会社Let`s Just Do It RYOMA本店

出会えてよかったねと感じて欲しい。そのために何ができるか常に自問自答。

後藤 隆 氏

ラーメン
2005年開業

「やろうと決めたらやるだけ」そう後藤氏はいう。2005年に「RYOMA本店」を新井薬師前に開業する以前は、飲食店とは全く違う業界で、建築業や営業、サービス業など様々な仕事をしてきたという。開業のきっかけは、らーめんを食べる事が好きだったことや両親が中華料理店を営んでいた影響もあるとのことだが、とにかくやってみたいと考えたことがはじまりだという。

今までに飲食店での経験はなかったが、2年以内に独立すると決意しラーメン店で約1年半働き準備をして開業した。「開業して2ヶ月はオープン景気もあり好調だったが、そこから半年間は厳しい時期が続きました。」「自分一人では続けられなかったかもしれない。その当時一緒に働いていたスタッフに励まされ、とにかく『これがあったら面白いよね』と思うものを試作しメニューを増やしたりして工夫を繰り返しました。」そう後藤氏は開業当初を振り返る。

開業した時にはメニューは塩ラーメンと鉄板定食の2種類だけだったという。その後当時まだまわりになかったとりチャーシューを開発したり、トマト味の伊太利ー麺等こだわりのメニューを増やすなど地道に改善を重ねてきたという。

「飲食店のやりがいは、お客さまとのふれあいです。お客様に『ありがとう』と言ってもらうために、何が出来るか常に自問自答です。」「店側がありがとうございますというのは当たり前。味だけおいしくてもありがとうとは言われない。お客様がここにきて良かったな、出会えてよかったなと思ってもらいたい。」と後藤氏は語る。「常に考えている事は、人生の最後の時に身近な人や家族から何と言われたいか。」「昔からサーフィンが好きで良く海に行っていました。サーフィンでは一瞬の判断が命取りになる事もあります。そんな経験から考えるようになったのかもしれません。」という。

今はRYOMA本店と東京煮干屋本舗の2店舗を展開しながら、「Let`s Just Do It.」の精神で新たな分野にもチャレンジしていきたいとのことだ。

讃岐のおうどん 花は咲く

日本を元気に!

相方 芳彦 氏

うどん
2013年開業

相方氏は、飲食店をはじめる以前は、経営者として約15年間リサイクル業で会社経営をしてきたという。飲食店をはじめるきっかけは、本業以外のもう一つの柱としての事業を考えた時に飲食店を開業しようと決意したという。

「開業前には焼肉業態の店舗なども検討しましたが、食を扱う仕事でお客様の命を預かる以上、より安全で未経験からでも事業に参入しやすい業態と考えうどん業態を選びました。」「全く飲食は未経験でしたので、うどんの打ち方を教えてくれる学校に習い、その後うどんの本場香川県で約2週間修業をして準備をしました。」その後物件を自宅からアクセスの良い今の場所を見つけ、初開業でも落ち着いて店づくりが出来そうな場所という理由から、2013年新中野に讃岐うどんの店『花は咲く』を開店したという。

こだわりのうどんは、4種類の国産小麦を独自配合でブレンドし、お餅のようなもっちりとした食感と喉越しの良さを出しているのが特徴だ。出汁はいりこを中心に5種類の素材を2日間かけて引いて提供しているという。すべてお客様に「体に良い食材」を食べて頂くため厳選している。「理想のうどんの食感を出すために、商品開発にはこだわりました。安定して作れるように全て分量を数値化したり、温度や湿度なども計算しています。」「それでもやはり毎日毎日微修正が必要になります。そこが難しい所です。」その日に打ったうどんに納得がいかなかったら、その日は店を閉める事もあるという。

「お客様が来た時よりも、帰える時に元気になっていて欲しい。最高のうどんを出せて、最高のサービスが出来る店を常に考えています。」そう相方氏は語る。目の前でお客様の笑顔を見て仕事が出来るのがやりがいだという。「大きなことを言うと思われるかもしれませんが、お店を通して日本を元気にしたい。そう本気で思っています。」今後も一品一品心を込めてより良い商品・より良いサービスをお客様に提供していきたいとのことだ。

トリコカレー

『楽しかった。元気がもらえた。』そんなお客様の笑顔がやりがい!

佐藤 勝也 氏

カレー
2014年開業

父親は不動産事業を営み母親は美容室を経営していたという佐藤氏は、自然と将来的に自分自身で商売をしていくだろうという思いを漠然と持つていたという。

学生を卒業後は地元の喫茶店や居酒屋ディスコを経営する会社で、約10年間働き統括マネージャーとして仕事をしていたという。店舗の数値などは予算組から実績を作るところまで責任を任され、その経験が開業してからも生かすことができたという。30代後半になった時に独立を決意。38歳の時に福岡でカレー店を開業をしたという。

「きっかけは当時地元で有名なカレー店で、たまたま後輩が働いていて、オーナーとも親しくなり厨房にも勝手に入って作るのを見ていたんです。しばらくして自分でも作ってみたりして。そんなところから始まりました。」知り合いの持ち家だった店舗を借りて1人で始めたという。開業後約12年間地元で経営を続けたが、立地や売り上げの伸びに限界を感じていた頃、ファンだった方が資金提供してくれ、2010年東京世田谷に開店することになったのだという。その後2014年現在の中野に移転し営業を続けている。

トリコカレーの特徴は「濃厚なカレー」だ。4種類のベースとなるスパイスと20種類のハーブを独自配合し、どちらかといえばB級グルメいわれる、大衆的に愛されるカレーを目指しているという。「現在の味を作るまでには、開業後も試行錯誤を重ねおおむね5年以上の期間をかけて改良してきました。開業当初は、スーパーなどでスパイスを買い込みひとつづつお湯に溶かして飲んでみたりして、どんな特徴があるのか体で覚えました。」「迷うときもあり何種類もスパイスを使用し作ってみたりもしましたが、逆に種類を増やすと個性がなくぼやけてしまう結果となりました。」何種類も試した結果、スパイスを絞り込み今の看板メニューとなったのだという。

「おいしいのは当たり前、この店に来て楽しかった。元気がもらえると思って頂けるように、お客様が気持ちよく過ごしていただくための接客を心がけています。」そう佐藤氏は語る。近い将来次の店舗の展開も考えているとのことだ。

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