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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

株式会社ドルザック カフェフーケ&アッチャカーナ

『人とのつながりの大切さ』をカフェや飲食を通して大事に残していきたい!

富田 祐史 氏

カフェ
1988年開業

カフェフーケ&アッチャカーナ誕生したのは、1988年二子玉川の現在の場所に、前オーナーが当時の最先端のカフェの流行を取り入れ、開業したのがはじまりだ。二子玉川では老舗のカフェとして地域の方に愛され続けている。

現オーナーの富田氏は、店がオープンして次の年からアルバイトで店で働き始めたという。その後アルバイトから社員を経て、店の責任者となり約3年前に前オーナーが引退するタイミングで店を引き継いで独立をしたのだという。「20代の頃は全く飲食とは別の分野で将来を考えてました、その中でこれまでこの仕事を続けてこれたのは、やはりこの店とこの仕事に魅力を感じていたからだと思います。ただ他の店では続かなかったと思いますが。」そう富田氏は振り返る。

カフェフーケ&アッチャカーナのこだわりは、全て『手作り・自家製』にこだわっているところだ。コーヒーは開店以来約30年間手だてのネルドリップで入れ、開業以来人気のいちごのミルフィーユなどのケーキ類、おすすめのキッシュなどすべて店の近くに工場を設けて手作り・自家製にこだわり作っているという。

「手作りで美味しいものを食べてもらいたいのはもちろんです。そのために当たり前のことを当たり前にやる。それだけでなく大手のお店と違い土地に根付いた『街のカフェ』としての良さを伝えられたらいいと考えています。」「街の風景の一つとして、今の時代忘れがちな人と人とのつながりや人間関係を大事に残して行きたいですね。」そう富田氏は語る。今後も街のカフェの良さを伝え、老舗カフェのスタイルと味を守り、手直ししながら大事に育てて行きたいということだ。

野方餃子

女性でも気軽に入れる新しい餃子屋!

大釜 和也 氏

餃子屋
2013年開業

2013年、野方駅から徒歩5分の場所に誕生した『野方餃子』は、「美味しいコト・美味しそうなコト・心地よいコト」をコンセプトにした女性でも気軽に入れる餃子専門店だ。

オーナーの大釜氏が餃子専門店での開業を考えたのは、餃子が好きで、食べ歩きを良くしていたということ、そして単品商売が出来るという事、拡張性がある事などから決めたという。「今まで飲食経験はなかったが、餃子の商品開発はこだわりました。もともと餃子が好きで良く食べ歩いてましたが、今までに100軒以上の店に行き研究しました。自宅でも友人・知人を家に招き餃子の試作をしながら改善し約1年間かけて今のメニューを作りました。」そう大釜氏は語る。「また餃子店というと男性客向けという店が非常に多かったが、女性にも気軽に入って頂けるようにという違いを出すために、餃子の材料・店舗のデザインやメニュー構成をしっかりと作り込みました。」餃子の美味しさはもちろん、居心地良く楽しんでもらうために椅子の大きさやテーブルのサイズまで、徹底して考えたという。

野方餃子の特徴は、焼き上がった時の「香り」にこだわりがある。餃子の材料は新鮮な素材を厳選し使用し、独自に開発した店特製の油を使用する事により香り高く美味しく焼き上がるのだという。また男性客以外にも女性も気軽に楽しんでもらえるように、ニンニクやニラを一切使用していない事。サイドメニューは自家製ピクルスやレアクリーム杏仁などを取り入れ、ドリンクはワインメニューを充実させていることなどが特徴だ。

こだわりの店づくりを行なった結果、口コミで評判となり多くのお客様に来店頂けるようになったという。「飲食業のやりがいは『リアリティ』。すぐにお客様から反応が返ってくるところです。小さい試合を毎日しているような感覚です。そして毎日が真剣勝負です。」そう大釜氏は語る。今後は若者向けの店舗など、様々なコンセプトで直営店舗の展開を考えているということだ。

井泉 本店

お箸できれるやわらかいとんかつ!お店の歴史と味をつないでいく!

石坂 淳子(三代目) 氏

とんかつ
1930年開業

創業は昭和5年、初代の画号の『井泉(セイセン)』が店の名前の由来だという。創業当時は、西洋から入ってきたカツレツを日本人好みに改良し油で揚げた『とんかつ』を出す店が流行りはじめた時代だった。井泉は「お座敷洋食の店」として地域に愛されるようになったのだという。創業当時に初代が当時のかたい肉を何とかお客様に美味しく食べてもらえるように工夫し考案したのが、『お箸できれるやわらかいとんかつ』だったという。

肉質を柔らかくするための独自の工夫された調理法と最高級の油を使い、パン粉も店の特注で業者から仕入れているという。こだわりの店の味に惚れ込み親子の代に渡って常連となってくれているお客様も多いという。

名物のカツサンドが誕生したのは、初代女将がトーストと紅茶の朝食という、当時時代の最先端を取り入れた生活をしていた時、ふと身近にあるパンでこのとんかつを挟み、お稲荷さんや海苔巻のように手軽に食べれるようにしたらどうかと考えたのがはじまりという。カツサンド発祥の店となった由来だ。手軽に食べられる、カツサンドは当時お客様の中心だった下谷花柳界の芸者衆に大好評となり広まったという。

初代が考案した「お箸できれるやわらかいとんかつ」と「カツサンド」は代々その味が受け継がれ、現在は三代目石坂氏とその娘にあたる四代目が店の味を守っている。

「毎日一生懸命、仕事をきちんとやる。それが大事です。お店には若い人からご高齢の方まで幅広く来て頂いている。家族で来ても楽しんで食べて頂けるように、受け継いできた味はもちろん価格や店の雰囲気も変えずに残して行きたい。」「井泉の味を求めて来て頂いているお客様の期待に添う事が出来るように、今後もこの味を受け継いで守っていきたい。それが私の使命と感じています。」そう四代目は語る。今後も老舗の味は代々受け継がれていく。

居酒屋のあ

繁盛し続ける、成長し続けること。そして家族や従業員を支え続けること。

吉村 八洲男 氏

居酒屋
1972年12月開業

吉村氏の開業のきっかけは、学生時代に飲食業でのアルバイトを経験したことだ。その時から漠然と飲食業に対して憧れを持っていたという。一旦サラリーマンとして働いたが、脱サラし開業を決意。半年間飲食店の学校に行き、その後いとこと共同で長野県飯山市に飲食店を開業した、その後家の事情で地元の現在の場所に移転したという。

目を付けた物件は地方都市の駅前という立地だが、単独ビルの地下物件であり立地条件としてはいいとは言えない場所だった。しかし、人の流れがあり、また当時喫茶店全盛の時代で、コーヒー専門店としてロースターを導入すれば味の個性で勝負できるのではと考えてこの物件に決めたという。

その後時代の流れに合わせ業態や商品も工夫や転換を図り、現在は居酒屋「のあ」として、地元信州の食材を使った商品をウリとしている。人気メニューは地元に合わせ『たれ』を独自に開発したこだわりの串揚げやつくね串。そして地元ならではの郷土料理の馬刺しやシカ肉などのジビエ料理だ。

「名物・人気メニュー誕生まで苦労し感じたことは、自分自身のアイディアと実際の売上は直結しないという事。自己満足ではなく、それを冷静に判断し地元のお客様の好みへと適応させることが大事です。」と吉村氏はいう。料理だけではなくお客様に満足して頂くために接客にも力を入れている。お客様が喜んでくれた時、それが味でもサービスでも満足して頂けたという反応が返ってきてくれた時が一番やりがいを感じる時だという。

「人生は永い、そして飲食店経営も永く続く繁盛店になるように「努力をおしまずに」続ける事。」今後も店を通じて地元(上田地域)を知ってもらい、お客様同士や店とお客様のコミュニケーションがより深まる店づくりをしていきたいとのことだ。

株式会社フードイズム KITCHEN TACHIKICHI / KITCHEN TACHIKICHI 旬熟成

従業員を自分に惚れさせ、客が従業員に惚れる。

跡部 美樹雄 氏

レストラン
2009年開業

現在餃子とワインの店・熟成肉の店を手掛ける跡部氏の飲食人生は、意外にも寿司屋から始まっていた。専門学校卒業後、寿司が好きで寿司店へ入店。その後割烹料理店など含めて10年ほど板前として活躍した。

板前時代には腕に自信があった跡部氏だが、包丁を離した時、PC操作・事業計画など、初めて自分の出来ないことの多さに驚いた。その後、コンサルティング会社などを経て、たまたま友人に紹介された物件で「餃子焼専門店 立吉(現在の店の前身)」を立ち上げた。

この頃、経営やビジネスに関する知識は持ち合わせていたが、なかなか思うような売上ではなかった。月々多額の返済に追われ、もうだめだと思った時、跡部氏の目は不思議とお客様ではなく従業員に向いていた。立吉の売上が伸びたのはそこからだ。開店当初平均230万程度だった売上が、最高580万円まで伸びた。

この時変わったことと言えば、恐らく従業員の意識だろう。従業員は跡部氏の言葉を受け、お客様に愛される従業員を目指した。

跡部氏の従業員教育は激しいツンデレだ。「お前はお客様に何が与えられるか?与えられるものがないなら帰れ!」こんな言葉を浴びせられた従業員は、やはり離れていく者も多かった。しかし、この言葉の裏に込めた想いは熱い。「ここで働くことが目的ではダメだ。何を求めて働くのか?」このようなことを跡部氏は問いかける。

跡部氏の言葉の裏には必ず「誰かのため」が含まれている。「肉を学びに働きに来るのではなく、家族の生活を豊かにするために働くんだ」 「お前のミスであの客が来なくなっても良い。だがお客が来なくなって売上が減ったら、仲間の給料が減るだろう!」こうした言葉で従業員は一人一人が強くなり、自立をし、結果として組織が強くなっていく。

跡部氏にとっては、餃子や熟成肉は稼ぐためのツールであり、店舗は手段。だが、やはり元々の職人気質からか餃子や熟成肉の開発は研究そのもの。今後については、店舗展開はやりたいスタッフがいれば・・・ということだが、跡部氏自身は熟成肉を世界一にするために戦略を立て、進めている。

従業員がお客様に愛される。自分はそんな従業員に格好良いと思われる、光を放つ存在で居続けなくてはならない。昔感じた板長への想いに近いかもしれない。しかし、今はそれを超えたと自信を持って言える。光り続けるために、跡部氏はいつも全力だ。

「スイッチをONにしたら、スイッチをOFFに出来ないようにぶっ壊せ。」これから開業するなら、どんなことがあっても諦めるな、必ず答えはそこにある。やるんならやれ!有言実行出来る奴だけが勝てる。この厳しい言葉の裏にも、負けて欲しくないという優しさが感じられた。

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