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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

スマイルバル エリン

多くの方々に支えられてこそ今がある

すが えりか 氏

お好み焼き
2017年開業

元々は外国語(英語)学校卒業後に学んだ語学を活かせる職業に進路を定めていた。就活時期に体調を崩しCAなどの希望職種への道が絶たれ、(自身曰く)「人生のどん底」を経験する。両親から「焦らずゆっくり探していけばいい・・」との言葉で心が救われ新たな道を模索し始めた。学生時代に飲食店でアルバイトをしていた際にお客様から“あなたの笑顔で元気をもらいました!”と言われた、とても嬉しい記憶が蘇り飲食業を学ぶために専門学校(ビストロ・バルコース)に進学する。卒業後、家族と共に自宅の一角を改装し「SMILE BAL Erin(スマイルバル エリン)」を開業した。店名の由来は“笑顔の輪が広がりますように・・・”との想いが込められているそうだ。開業時苦労したことは、フリーターから、いきなり経営者となり、何をするにも自分自身で決めなくてはならないことに初めは戸惑ったとのこと。経営者として大事にしていることは“人”で、開業後1ケ月で再び体調を崩し3か月間、病床に伏せるも、その間、母親や妹がお店を守り続けてくれたことを含めて、家族、お客様、友人、知人など多くの方々に支えられてこそ今があると強く認識し、美味しい料理を提供することはもちろんとしてお客様にとって“落ち着ける・癒しの空間”として、お一人お一人を大切に想う真心を込めたお店作りを目指している。今後はワインソムリエの資格にもチャレンジしお好み焼きとワインのような新たなマリアージュを提供できるお店や、違う立地にも挑戦してみたいと意欲を語る。

Felice café & PIZZA

飲食店で地元に貢献し恩返しをしたい。

寺前 洋喜 氏

洋食
2013年開業

 元々、飲食店を経営したいと考えていた。イタリア料理店で勤めていた時に今でも尊敬してやまない社長はじめ経営陣の方々から本当にたくさんのことを教わった。ある時、その会社で地元の一大イベントに物販店舗として出店した際“食”で地域に貢献することができるかもしれないとの実感を得たことと、尊敬する上司の独立開業を機に、より深く、しっかりと人生を考えた結果、“飲食店を出店することで地元の、良き街づくりへの貢献や活性化に繋げ、恩返しをしたい!”との強い気持ちで、やるなら30代前半の今しかない!と開業を決意した。お店作りで大切にしたのは、まず「家族で食卓を囲み時間を共有する大事さを認識してもらえるお店」。2つ目は「非日常の幸せを感じていただくと共に毎日の暮らしの中にある幸せに気づいてもらえるお店」。3つ目は「本格的ナポリピッツアを地元の人に親しんでもらえるお店」とした。開業時に想定外だったことは本格的ピッツアよりも大手ナショナルチェーンの宅配ピザに慣れていたお客様が焼きたてを店内で食べるよりもお持ち帰りされる方が多いことに驚き、ナポリピッツアの知名度がこんなにも低いということに初めて気づかされた。また内装に関して図面上で構想したものと実際に出来上がったものとのイメージの違いや、オペレーション導線づくりの難しさを実感した。また近隣の幼稚園や小学校生のために作った座敷席よりもテーブル席需要が意外に高かったりと実践してみて初めて分かることも多かったそうだ。継続してこられた秘訣は地域の人達、家族、家族の友人知人、友人達に支えられてきたからこそ今があり、一人では決してやってこられなかったと振り返る。経営者として大事にしていることはスタッフを含めた「人」に尽きる。今後はOPENキッチンでピッツアを焼くところを見てもらえ、よりお客様とコミュニケーションが取れる1フロアーのお店を作りたいと意欲的だ。これから始められる方には「事業を始めるのは大変なこと!だからこそ相当な覚悟が必要です。心が折れそうな時に創業の思いを大事にして初心を忘れずにいて欲しいということと、企業は存続することが使命なので諦めずにピンチをチャンスとする方法を探し続けて欲しい。」とエールを贈る。

麺屋 札幌 169

和食職人気質が美味しさへのこだわりにつながる

伊藤 英樹 氏

ラーメン屋
平成27年7月

和食店を順調に経営していたが18年経ったある日、病気が見つかった。闘病のため店をたたみ、治療に専念。しばらくして病も落ち着き、知人の店を手伝うことなど少しづつ体を慣らし始めていったという。

数年が経ったある日、飲食店の入口に空き店舗の貼り紙を見つける。そろそろ自分で、と思っていた矢先だった。居抜きだがクロスの張替えや厨房器具関係は入れ替えた。
ラーメン好きもあり今度はラーメン屋。店名は麺屋 札幌「169」お店の住所だそうだ。
病気で体を壊した、その経験から旨味調理などを使わない『無化調』にこだわった。天然のもので出汁をとる、ラードを使わず鶏油を使うなど、正に創意工夫。
そんなこだわりラーメンでも最初の1年はお客様が来ない。安売りはしたくない、Facebookなどで「本日限定メニュー」や他のラーメン屋とのコラボレーションでスタンプラリーなど実施したこともあったそうだ。

転機は1年が過ぎた頃。なんといきなり雑誌の表紙を飾った。するとそれから徐々に雑誌の取材が入ってきて、遂にはミシュランの主に5,000円以下で楽しめる店を紹介する『ビブグルマン』に選ばれた。
雑誌に掲載されてからお客様も順調に入るようになってきたところに、今度は百貨店などでの道産の催事への出店依頼や海外への出店のオファーが次々と舞い込む。
それでもラーメンへのこだわりは変わらない。
原価率が高くても「美味しい」と、また次にきてもらえれば良いという。広告宣伝費と考えているようだ。
そこはきっと和食人気質があるから。経営は大切、お店を続けることが大事。しかし美味しいと思ってもらえるものを出したいことの気持ちが上回ると言う。
ラーメンは毎朝自分で食べる。1年前と今では味が違ってきている。同じものを使っていても色々な条件で全ての味が変わる、そんなことが味へ反映するのだと、味のチェックを欠かさず、厨房に立ち続ける。

てぃーだMcafe

【人】とのつながりで今がある

茶木 雅子 氏

カフェ
平成24年7月

もともとお店を持つ気は無かった、と語る。
旅行好きが高じて札幌のOLから沖縄に移り住み、ホテルの宿泊予約の係として勤務し沖縄を満喫していた。ところが予約の仕事と違いレストランのスタッフたちは直接その場で「美味しかったよ、ありがとう」と声をかけられる、そんな商売に就きたいと調理師専門学校へ進んだ。
料理関係の店に勤めたいと思って入ったが、製菓の面白さに気付く。そして製菓の仕事に就こうと思うと、沖縄の就職先は少なく、色々な事情や条件を考え、札幌へ戻ることになる。
札幌では3軒ほど勤めたが、いつしか「自分でやるしかない」と思うようになっていったようだ。

カフェ開業の本など読みあさり勉強したつもりが気づくと『てぃーだMcafe』、オープンの日を迎えていた。
「美味しかったよ、ありがとう」と言われることを夢みて職人になったのにレジ打ちから経理の仕事まで。ケーキを作る時間、ランチを出す余裕もないなど「橋がないのに渡ったようだった」そうだ。それでも続けてこれたのは友人知人の協力があってこそだという。自分の空いてる時間にエプロンや弁当持参で手伝いに来てくれる人、除雪を手伝ってくれる人、高価な果物が手に入ると「これで美味しいケーキ作ってよ」という常連さんなど、そのおかげで今でも続けていられるという。

出来る限り素材にこだわるその理由は明快「自分で食べるから」だそうだ。何か分からない油を使うよりオリーブオイルを使う方が良いとか、自分にとっては単純なこと。
『自分=家族=お客様』だという。「食べて心地良いもの」自分で作ると砂糖やバターがどれだけ使うかが実感して分かる。
お客様の「ありがとう」「美味しかったよ 」という言葉が白飯のおかずになる、そう思えるから続けられる。「OL時代のお給料から比べたら今は子供のおこずかい程度で大変なんです。」そう言いながらも、今の方が幸せだと感じる、と語る。

札幌朱カリー喫茶「ついDEにあそこ 」

体調を崩した自分がこだわるカレーを届けたい

盛合 でぇすけ 氏

カレー店
平成28年1月

お笑い事務所に所属する異色な飲食店オーナー。その名も【札幌朱カリー「ついDEにあそこ」】。
専門学校時代に行っていた飲食店のアルバイト先に学校卒業後、そのまま契約社員として入社。その後、店長となり『カレーラーメン』の開発を任された。
カレーが嫌い、そしてラーメンも嫌い。どちらも嫌いな自分だが、嫌いな自分でも食べられるものを作ろう!と色々食べ歩き。そして完成させた商品は、ヒットしたようだ。

その後、様々な職種なども経験し、いよいよ自分の店を持つことに進む。
物件は悩んでいる間に第一希望を別な人に決められて後悔、第二希望は、その教訓から逃さないように早々に決めたようだ。それでも向かいに生協があり、家賃が安い、そして路面店と条件は納得していた。
朱カリーの“朱“は 体に良くて優しくコクがあるようにトマトを多めに使ったら赤くなったから、そして朱肉の捺印する際の「これに決めた!」という意味も込めた。
飲食店や他業種での経験と知識はあるものの、お金を借りる方法、外装や内装など自分では分からないことだらけ、分からないことは聞くしかないと、知人の紹介でコンサルタントに頼ったそうだ。
飲食店を営んでいる知人や友人からは、とにかく3年我慢し、集客と利益を作ることが大事とアドバイスをいただいた。そのアドバイスがなければ、店を続けていなかったかもしれないという。

食材は北海道産にこだわるが、どうしても現状では、肝心のトマトだけが加熱に適するトマトがなく、イタリア産を使っている。いつかは日本、そして北海道産のトマトを使いたい。
さらに、店舗も増やしていきたい、お世話になっているテーマガーデンのブランド肉とコラボし、芸人だからこその“カレーと芸人のセット売り”が出来ないかと熱い思いを語る。

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