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飲食店先輩経営者からのメッセージ

すでに飲食店経営者として活躍されている先輩経営者から後輩経営者に向けてのメッセージです。
これから共に飲食業界を引っ張っていく後輩経営者へたくさんのメッセージが寄せられています。

株式会社Bravery

信じて、そして感謝を忘れない・・・

しらの あや 氏

居酒屋
2010年開業

  元々30歳までに飲食店経営で独立したいと考え、20歳から色々な飲食店でアルバイトを始めた。23歳の時、後に師と仰ぐことになる尊敬できる経営者と出逢い、その方の元で働き始め店長や統括責任者、人材教育、新店舗プロデュースなど様々な役割を与えてもらい貴重な経験を積んでいった。またその会社で独立に向けた開業資金を財形貯蓄の形で貯めることを提案してもらい着実に準備していった。6年ほど勤めた時にチャンスが訪れる。以前、店長を務めたことがある、もつ鍋業態のお店を閉店する機会に、その店を引き継がせてもらい経営者として独立を決意。女性の飲食店経営は色々な人達から偏見の目で見られるという理由で親からも反対される中、押し切る形で独立を果した。お店のコンセプトは当時起きた野菜ブームにのりスタッフ全員が女性の野菜鍋と野菜料理を中心としたもつ鍋店で女性をターゲットとし“内側から綺麗に!”をテーマとした女性のための女性が喜ぶお店とした。新装開店の際に苦労したことは家主との間で業態・店名の調整が難航したことと、雇用していた店長と価値観を共有するのに時間がかかったと語る。ただ経営は、以前のお客様をそのまま引き継げたことと、お店のコンセプトが時代をとらえ、メディアにも紹介されるなど新規客も獲得することが出来たのでスムーズに軌道に乗せることが出来たそうだ。現在は立地を移し業態の違う、もつ鍋、爆裂トマト鍋、串カツ、骨付き唐揚げが看板メニューの居酒屋経営に転換し順調に売り上げを伸ばしているとのこと。継続してこられた秘訣は?の問いに「スタッフを信じ自分の感性を信じ師匠の教えを信じて、いつも感謝の気持ちを忘れずに来たからでは」と話す。その一つとして今だに来て下さった客様への、お礼状は欠かさず書いているそうだ。経営者として一番大事にしていることは“関わってくださる全ての人” で特にスタッフに対しては、お給料を渡す際には必ず一人一人に感謝の手紙を添えているそうだ。今後は人材を育て益々関わった全ての人に愛される店づくり、また飲食業界全体の地位向上の活動なども継続していくとのこと。これから始める方に「自分は経営者になって本当に良かったと思うのでやりたいと思ったのであれば是非やって欲しい!ただし常に努力を怠らないことと、どんなことがあっても、一人になっても、やり続ける覚悟が出来ないのであれば無理はしない方が良いと思う。」とエールを贈る。

北乃家

また来たくなる雰囲気づくりを心掛けています

北野 勝男 氏

カニ料理・和食
創業2000年4月

 20歳の時に名古屋に出てきて、寿司屋に修業に入り、5年間の修業の後、今の場所で居酒屋を開業したのがスタート。その後道交法改正などの影響もあって、食事中心のお店である今の業態に転換し、現在に至っているとの事。 北海道 根室直送の「かに料理」が売りのお店という事で始めたが、その後2005年の愛知万博に出店した際、地元の食材を使った代表的な料理をという要望に応える形で、三河一色産のうなぎを使った料理を始めたのだそうだ。今ではかに料理と鰻料理の二枚看板となっている。 開業当初は、かに料理という特別感のあるメニューと、郊外店という事で、夜の集客には非常に苦労したという。今でも悩みの種なのだそうだ。一番人気のメニューは「かに寿司」お土産にも結構買っていっていただける。お正月の時期や、節分の恵方巻きの時期には、特に売れるとの事。 これまで続けてこられたのは、集客に苦労しながらも「かに」にこだわってやってきたからだと思う、とご主人は語る。 ご主人の座右の銘もまさに「絶対“かに”からブレない・ズレない事」なのだという。 2階だけで最大100名様までご利用いただけるので、今後は1階は気軽に入れる業態にチャレンジしてみたいとの事。もちろん「かに」にこだわって。 これから始められる方へ、 なんといってもお店の雰囲気が一番大事なので、料理の魅力だけでなく、お客様がまた来たくなるお店の雰囲気づくりに心掛けてほしい、とエールを贈る。

居酒屋ほがら家

子はかすがい=お客様はかすがい

大久保 智康 氏

居酒屋
平成16年3月

食べることが好きで小学生時代から調理クラブで腕を振るっていた。もう既にその頃には自分の店を持つ目標が出来ていたという。
宮城県から北海道の大学へ。学生時代から調理場でアルバイト、小さな頃からの目標だった自分の店を持つため、卒業後は、そのまま調理の世界へ入る。目標は『30歳にはお店を出す』。まず和食の修行、そして居酒屋も経験し、色々な勉強をするため声をかけて頂いた洋食のお店などでも修行した。

お店を出す、という目標を知っているお義父さんから「空いてる物件あるよ」との言葉に直ぐに反応。ビルに入っているお店やその物件に足を踏み入れた時の印象などから、そこに決めた。そして何よりクーポン誌が人気の当時は、それを出せば大丈夫、とすっかり安心していたようだ。そしてその通り1年くらいは順調だったという。
ところが札幌駅が再開発され、飲食店が札幌駅周辺にドンドン出来てくると、お客様の来店が少なくなり、飲み放題や会計金額から○%引き、ビールも1杯○円。そして、目玉商品でうにや鮑を出す。クーポンも激化していった。
そのうちに、安売りだけじゃダメだということに気づく。気づき始めると、お客様と会話が増え、その会話でお客様が、そしてリピーターが増えてきたという。さらに10周年を迎えた頃、お客様が自分の店『居酒屋ほがら家』を認めてくれたような気がしたそうだ。

この仕事が大好きでお店をやらせてもらっている、お客様の大切なお金をいただくのだから、喜んで帰ってもらうのがベスト、それでも最低限、お客様に迷惑をかけないことが信条。食器など洗うものはキレイに洗うとか当たり前のことを当たり前にやることが大切。今は一緒にお店をやってくれる奥様とお客様との会話を楽しんでいるようだ。そうして自分たちも成長させてもらっている、と語る。

おでんばーKING

笑顔とおでんであなたを癒す♡

土井樹利 氏

バー
平成27年11月

 二十歳のころからイタリア料理の調理人として働き始めた。自分のお店を持ちたいと色々考えた結果“Bar”を開こうと決意するも、イタリア料理は未だ修業中だったので何か個性・差別化できるモノを模索していた。そこで発想したのが「おでん」だった。実は祖母が大衆演劇の劇場で28年もの間おでんを販売していた歴史に着目し“長きにわたり引き継がれつぎ足してきたおでんのつゆ”の伝統を守りながら主力商品にした「おでんばー KING」が誕生した。お店のコンセプトは、持ち前の明るい接客と笑顔、伝統のおでんとお酒で、日頃から何かと疲れているお客様を癒して差し上げられるお店とした。開店当初は何をするにでも全て一人で行ってきたので、悩みは尽きず、SNSなども開業するまで経験していなかったため告知(販売促進)の難しさを痛感しましたとのこと。お店を継続してこられた秘訣は“営業中はどんなことがあっても自分自身が楽しむこと”と語る。経営者として一番大事にしているのはお客様で「何かあった時は戻ってこられる場所であり、一番落ち着ける場所であり続けること」だそうだ。尊敬する兄が板前をしており、いつか兄妹2人の“寿司とおでんをテーマにしたお店”をつくることを視野に入れ、今日も自慢のおでんと笑顔で多くのお客様を癒し続ける。

ラ プロメッサ

一番大事にしているのは「人」=信頼できる仲間

箕輪 明 氏

イタリアン
2013年開業

元々、料理人である父親の影響を受け幼少の時から、飲食店で独立することを夢見て、独立時期を明確に決め、そこから逆算し行動目標を立て実行に移していった。進学校を卒業後、周囲の反対を押し切る形で調理師専門学校へ進んだ。そこで信頼できる近い将来人生を共に生きる仲間と出会い、計画がより鮮明になっていったそうだ。それぞれに、ある人は料理、ある人はサービスという形で仲間と担当を分担し、自分は務めに出ながら資金を貯め起業する準備を着々と行っていった。自身が23歳の時に「ラ プロメッサ」で開業し一つの目標を果たす。ただし経営者としては駆け出しだったため、分からないことばかりで、お店のコンセプトなどの具体的な経営戦略はなく、色々な模索と消去法的に導き出したと結果と当時を振り返る。開店当初は想像していたものとは全く違い、思ったような収益を上げられず3ヶ月ほどは苦しい展開となったが開業前に準備していた運転資金と仲間たちとの必死の努力、周りの方々のアドバイスなどで乗り越え、6ヶ月目に初めて黒字化に成功する。2年目、3年目と着実に固定客・常連客が増え軌道にのり現在は2店舗を運営するに至る。経営者として経営・運営に関わることは全て大事に考えているが中でも一番大事にしているのは「人」=信頼できる仲間と語る。今後は他業態、他業種での展開も視野に入れ活動していくそうだ。これから始められる人には「やらずに後悔するより、やって後悔するほうが良いのではないでしょうか。ただ現場での経験は重視して欲しい。」とエールを贈る。

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